ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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わかろうとする姿勢


素直に気持ちを言葉にすることが実は苦手です。

だから、この場所に助けられています。

そしてまた、ミラという人の輪にも。



ストレートに気持ちを表現されると、受けとめるときによろめきます。


おっとっと・・



呆然とします。



そのあと、からだが熱くなって、


やっと最後に頭で理解しようとします。



最近、沁み、笑った茨木のり子さんの詩を2つ。



苦しみの日々 哀しみの日々


苦しみの日々

哀しみの日々

それは人を少しは深くするだろう

わずか五ミリぐらいではあろうけれど


さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが

なんとか通り抜けたとき 初めて気づく

あれはみずからを養うに足る時間であったと


少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう

人の痛みも 柘榴のような傷口も

わかったとでどうなるものでもないけれど

(わからないよりはいいだろう)


苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである


受けとめるしかない

折々の小さな刺や 病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには

自己省察の要素は皆無なのだから





笑う能力


「先生 お元気ですか

我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」

他家の姉が色づいたとて知ったことか

手紙を受けとった教授は

柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか


「次の会にはぜひお越し下さい

枯木も山の賑わいですから」

おっとっと それは老人の謙遜語で

若者が年上のひとを誘う言葉ではない


着飾った夫人たちの集うレストランの一角

ウェーターがうやうやしくデザートの説明

「洋梨のババロワでございます」

「なに 洋梨のババア?」


若い娘がだるそうに喋っていた

あたしねぇ ポエムをひとつ作って

彼に贈ったの 虫っていう題

「あたし 蚤かダニになりたいの

そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」

はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは


言葉の脱臼 骨折 捻挫のさま


いとをかしくて

深夜 ひとり声たてて笑えば

われながら鬼気迫るものあり

ひやりともするのだが そんな時

もう一人の私が耳元で囁く

「よろしい

お前にはまだ笑う能力が残っている

乏しい能力のひとつとして

いまわのきわまで保つように」

はィ 出来ますれば


山笑う

という日本語もいい

春の微笑を通りすぎ

山よ 新緑どよもして

大いに笑え!


気がつけば いつのまにか

我が膝までが笑うようになっていた





最近、ささいなことですぐに涙がこぼれます。


今日は、当直明けの帰りの車でマッキーの「どんなときも」で泣き、

今は、小学生が歌うNHK合唱コンクールの主題歌「いのちのいっちょうめ」で涙しています。




職場で、メンバーの生きる力強さに支えられています。


今月は、自身を鍛える月。

研修で来週は東京、再来週は北海道へ。


この週末にからだとこころを調えたいと思います。









わかろうとする姿勢



鴻上尚史さんの「表現力のレッスン」という本を、職場の先輩から借りた。


その中に書いてあったこと。


「他者」と「他人」の違い


他者」とは「受け入れたくないのに、受け入れなければいけない存在」であり、

同時に「受け入れたいのに、受け入れられない存在


「他人」とは「苦労して付き合っていく必要も関係もない人で価値観やアドバイスも関係ない存在」


完璧な味方も、完璧な敵も、完璧な友人もフィクション。


ただ、「他人」と「他者」の間を揺れる存在だけがある



他者とのかかわりって、一筋縄にはいかない。


でも、そこでこそ、自分自身が試される。


(無意識にでもこの人には自分とは違う世界があると思っていて)わからないこと前提に話を聴いていると、わからないことを肯定してしまい、

わからない自分も苦しいんだ!

と、二重に苦しみを生むことになる。



わかりえないかもしれないけれど、


にもかかわらず、心からのわかろうとする姿勢。



友人の相談に乗る時は、「どうせわからないだろうけど聴こう」なんて思わない。

ただ、わかろうとする姿勢で聴く。


なのに、気づかないうちに仕事で話を聴いている時、「わからないだろうけど、わかりたい。聴こう」となっていた。



わかろうっていう気持ちは、


能動的なものでも受動的なものでもなくて、


自然にわき起こってくる気持ちをそのまま大切にしたらいいんだ、


そう気づいた。



精神科医の神田橋條治氏のことばを引用すれば、以下のよう。


「相手の不幸せに心を寄せており、そこからの離脱の手助けをしたいという意図を、情緒的な内なる流れとしてもっていることである」






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  1. 2010/10/09(土) 16:39:00|
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