ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

あなたは何の当事者ですか


すこし前から、胸騒ぎがします。

これは、なんの前触れか。

思いあたる節は、無くも無いのですが、ありすぎてよくわかりません。


こんばんは。KUREHAです。


今暮らしている地域では、5月5日のこどもの日前後1ヶ月くらいは、空を泳ぐ鯉のぼり。

こいのぼり

ちょうど写真を撮った時間帯は無風で垂れ下がっていますが、風の吹いているときは、見るからに気持ちよさそうで、頬のあたりに泉のような流れる風を感じます。


1ヶ月前に参加したアースデイ佐久で、2年ぶりに再会した我が家の靴下マットの師匠に写真を送りました。

2年前、ちくちく布ナプキン(詳しくはこちら)のブースの隣で、相方が縫っていたちくちく靴下マット。(写真左)
靴下を丸めて中に入れ、好きな柄は外側に見えるように。
なかなかお尻にフィットするきもちのいい座布団ができます。くつしたまっと

右の小さい方は、私が高校の友人からもらったマフラーでちくちく。
思い出の品をリユース。


話はじゃんじゃか飛びますが、このあいだ触れたただいま それぞれの居場所」という映画を観に行ったときの友人たちの感想を紹介したいと思います。

ちなみに、私自身は、とてつもなく勇気づけられました。

今の仕事をすることにおいても、自らや周りのすべての人の生(老いと死)においても。

何度も観たいし、実際に映画に出てくる加藤さんや石井さんに会いたい。

おばあちゃんに変装して会いに行こうかな。なんて。


老いることへの漠然とした悲観が嘘のように晴れ、「ああ、人間なんだな、結局は」
という想いになり、未来へひらかれた視界が広~くなったような感覚がします。

生きることの根本を大事にしている人たちがたくさん出てきます。


自分はなんで生きてるんだろう?

生まれてきたことの意味が分からない。

生きていても仕方ない。


なあんて思ってる暇があったら、まあ、観てみてください。



それでは、以下、友人たちのコメントです。
そらgw

ぼくにとって老いることは、孤独になることへの恐怖だ。
できることができなくなったり、笑える余裕が無くなってしまったり。
それだから、相手を傷つけたり、怖がらせたり。

そんなことになったら、
いつか、みんな自分のところからいなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。
そうわかっていても、きっと素直になれない。

ぼくはまだ、介護する、ということをわかっていない。
やってみたいかというと、できることなら、やりたくない。
でも最近、なんとなくわかってきたけど、
この理由のない嫌悪感というやつは、単にそのことを「知らない」だけなんだとも思ってきている。

もしも自分の家族が介護を必要になったら、
いったいどうするのか、たぶんぼくはその時にならないと考えないだろうけど、
やっぱり最初に言った、「孤独」ということは考えるんじゃないかとは思う。
寂しいから死にたい、ということだけは、それだけは、させないという風に。

ぼくがこの映画を観て思ったことは、たぶん、
「すばらしい」だけでは終わりにはできない、と言うことだ。

手をさしのべる若者を、力一杯殴りつけようとする気持ちは、
何となくだけど、わかる。
それと同じくして、「先生」にキレそうになる若者の気持ちも、
誤解を恐れずに言えば、よくわかる。
そして唯一わからないのは、
いつも笑顔で、わたしを迎えてくれる、あなたたちなのだということも。

子安さんは最後、何を言いたかったのだろう。

「ありがとう」ではないと、思いたい。

答えのない、人と人の営みの中で、様々な葛藤を抱えながら、それでもお互いが、明るい兆しに向けて「もがいている」ということが、ぼくの力になる。
(KMさん)


映画で印象的だったのは、90歳のおじいさん。孫の朝ご飯をつくったりおじいさんをいきいきさせているものは何だろうと思いました。
(AHさん)



57400021_convert_20100527232153.jpg

さて、上の写真は、5月の1週目に大好きな友人たちと南房総に旅したときの宿の朝ご飯。

有機野菜のやさしい味の食事。
人参ジュースが甘かったのと、女将さんがスーパーパワフルな方でした。


この旅の中で、ぱん焼きのぼんちゃんが使っている小麦の一部を生産しているやぎ農園を訪ねました。

個人的には、実に4年以上ぶりに再会した八木さんご夫婦。

ついこのあいだ会ったかのような温もりで迎えてくれて、涙が出そうになりました。

いつも「提携の有機野菜の料理と映画上映会」で野菜を送ってもらっている長野の織座農園が冬場に野菜が無いときには、暖かい南房総で有機野菜をつくっているやぎ農園に野菜を頼むことが何度かあり、野菜や加工品の納豆などはいただいていましたが、ご本人たちと会って畑を見せてもらったり、ほんの少しでもお手伝いさせてもらったりして、そのすべてがありがたかったです。


その八木さんご夫婦と「またね」と別れてから、2週間も経たないうちに、東京駅で偶然、再会しました。
こんなこともあるんですね。
思わず、その日massunからもらったばかりの麦畑の写真を渡していました。


ネオンの光で輝いている窓の細かい雨粒が、満天の星空のようで、
夢みたいだな・・と、バスの中で呟きました。



やぎ農園や織座農園、わらしべ農園、ひとつぶ農園、つ・む・ぎ農園、魚住農園、まにまに農園、青い楽園・・・・
私が今まで出会ってきた有機農家さんに共通していえるのは、

「いのちを大切にした生き方」を徹底しているところ。

いのちを育みつづけ、循環し、その中に自らも身を据えている。


無農薬・無化学肥料・除草剤無しという条件だけでは、有機農業じゃない。


有機農業の有機は、ひとのつながりや、地球という大きなひとつの生命の和を意味していると、私は考えています。


その意味での有機的な世界をつくっていくには、今現在の自分を問いなおし、生きなおし、環境を変えることが求められると思っています。


現実世界でのその実践は、すさまじく心が引き裂かれそうになったり、悔し涙がボロボロこぼれたりしますが、
私はいつも当事者に背中を押されているような気がします。


世界の当事者性をもち、歩むこと が、私の帰るところなのかなと思います。

自然王国


スポンサーサイト
  1. 2010/05/28(金) 00:34:49|
  2. kurehaの独り言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<土いじり | ホーム | からだの声に耳を澄ませば>>

コメント

今日は28日の満月の日で、パン屋の日で、ちょっぴり気持ちが高ぶっている気がします。

「ただいまそれぞれの場所」のことを紅葉ちゃん伝えに聞いていただけだけど、観てみたいなぁ、と思わされます。観ていないんだけど、わたしの家族の介護生活を振り返りました。

私のおばあちゃんはアルツハイマーで逝きました。最後にはまるで赤ちゃんのような、まっさらな人になっていたような気がします。

おばあちゃんは、自分の記憶がなくなってゆくときどれだけ辛かっただろう。その当時わたしは、何もできませんでした。家族の中で、わたしが誰よりも心を許していた人、愛してくれた人でした。
しかし、何も、なんにもできませんでした。小さくなってゆくおばあちゃんをどこかで受け入れられずに、目を背けてきました。

今、わたしにできることは、私の周りにいて、関わりあっているひとたちに対して、できる限り真剣に、大切に向き合っていくことかな。それが、おばあちゃんにつながる小さな道のような気がするから。

いつも気づきをありがとう。
  1. 2010/05/28(金) 19:23:10 |
  2. URL |
  3. bon #-
  4. [ 編集]

bonちゃんへ

bonちゃん、たいせつなことを書いてくれてありがとう。
きっと、つながってるよ。
りんちゃんとのかかわりや、こみけんのお父さんとのかかわり、みんなみんな、つながってる。


満月の夜、明るいね。

太陽のような、月のような、bonちゃんのぱん、また明日送られてくるのを楽しみに。
  1. 2010/05/28(金) 20:51:13 |
  2. URL |
  3. KUREHA #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hitonokazudake.blog17.fc2.com/tb.php/333-41f09c48
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。