ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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いきるデコボコ道


先日、ミラで小さな新年会をやりました。
最終的に残ったのは、去年インドを旅した3人でした。

夜更け近くまで話していて、朝起きてからもまた昼近くまで話しつづけていました。

話の焦点は色々変われども、やはりこの時代に生きる私たちのことが基準になっていました。

その中で、「死にたいと思うこと」という話になりました。

なぜ、こんなにも自ら命を絶つ人、死にたいと思う人が多いのか。


私は今年のお正月、
することもなく、TVはつけていたものの、
悶々とただ一人で過ごしていたら、
余計なことばかり考えすぎて、本当に暗い気持ちになりました。

人は「一人で考える時間」が増えすぎてしまったのではないか。

もともとわかるわけもないことを考え、
答えの出ないことを考え、悩み、それによって苦しむ時間が増えたから、
悶々とし、辛くなってしまっているのではないか。

そういう話になった時に、
私がその時思った、「コンビニ弁当と手料理」の話を2人にしてみました。

今は食べるという行為をするときに、
コンビニに入ってお弁当を選んで、買って、食べ終わるまでに30分もかからない。
あとは弁当の空箱と使い終わった割りばしを捨てて、
ペットボトルのお茶を飲んで終わり。

でも、私の暮らす農園での生活は、
ご飯を食べるには、
お米を研いで、圧力鍋を火にかけて、
足りない食材は畑に行って収穫し、
それから土を落とすために丁寧に洗って、それぞれの野菜を料理して、
器に盛り付けて、テーブルを拭いてお箸やお皿を並べて、
ご飯と味噌汁をよそって、食べる。
食べたらまた食器を洗って片付ける。
その間に、お湯を沸かして、
最後にお茶を入れて飲む…というところまでする。
畑から帰ってきてお茶を飲み終わるまでに、2時間~3時間はかかる。

コンビニ弁当と手料理の間に、1時間半~2時間半の差がある。

これが、人が考えている時間の差だとしたら…。

人は、食べる=生きる という行為に割く時間を本来大切にしてきたのではないか。
その時間を最小限にして、生きるということ以外のことを考える時間が増えてしまったら…。

こんな話をしたら、kurehaが、
でもそれをみんなが望んだからこうなった。
と言った。

確かにそうだと思った。

コンビニは便利だし、みんなも料理をつくるのが大変だからこういう時代になった。
農業は大変だから、
第一次産業から第二次産業、第三次産業へシフトした。

考える時間が増えたことによって、
社会の矛盾、差別などの問題に向き合う時間ができて、
解決しようと努力していく結果にもつながったかもしれない。

考えることはいいことか、悪いことか…。

帰ってから、時間のある私は、たくさん考えた。

そしたら、「アスファルトの道とデコボコ道」が浮かんだ。

アスファルトで固められた道は、危険が少なく、
考え事をしていても、何にもつまずくことなく安全に歩くことができる。

かたや、農園の周りにはデコボコの坂道が多く、
真冬は土が凍って、雪や霜の水分で道のデコボコもいっそうひどくなり、
急な下り坂では転ばないように、下を見ながら一歩一歩必死に歩く。

転ばないようにする=危険の回避=いのちを守る ??

普段、アスファルトの道を歩いている時には、
ボーっと、死にたい…なんて考えている時もあるかもしれない。

でも、デコボコ道では、自然と、自分のいのちを守ろうとしている自分がいる。

自分のいのちを意識する瞬間。

無意識のうちに、生きようとしている瞬間。

そんな瞬間を、コンビニ弁当やアスファルトで整備された道は奪っているのではないだろうか。

人が望んでこうなった時代。

自分のいのちを守るための行為が、隠されている時代。


考える暇もないほど、ただ生きる行為をしていたいのか。

なぜ生きるのか、なぜ生まれてきたのか、これからどうしたいのかを、考えていたいのか。

どう生きていったらいいのだろう。

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  1. 2009/01/16(金) 01:46:58|
  2. まっすんの寝言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

桜の樹

こりゃあ、なかなかコメントしづらい文章を書いてくれたね、massun。


でも、massunの文章を読んで、意識や自覚なしで自然と共に在ることが生きるってことだと思ったな・・と、アデヴァシー(インドの先住民)を思い出しながら想いました。

そして、このあいだの新年会では、現代社会に生まれたわたしたちは、また新たな社会を創っていけるんだと改めて実感しました。

だって、現代社会を築いてきた10歳以上上の人たちとは確実に違った社会に産み落とされてるんだから。

もちろん、私たちより下の世代との差も格段とあるんだけれど。


1人1人がどう生きるか

も大事だけど、その1人1人が築いていく社会がどうあるか

もそろそろ考えていいんじゃないかな。

それぞれ自分の居場所を見つけてそこで考えを巡らせているわけだし。

そのためにも、考えること、動くこと、創造することを、併行してやっていかなくちゃ。


試験1週間前にもかかわらず、
大泉高校の樹齢50年の桜の木立ちを守るべく署名活動に精を出していたら、たくさんの人に桜を通して元気をもらって、ついコメントしたくなりました。


また、1月30日のミラ会で語り合いましょう。




  1. 2009/01/16(金) 13:59:34 |
  2. URL |
  3. KUREHA #-
  4. [ 編集]

82歳も…

kurehaへ

コメントどうもありがとう。

自分で読み返してみても、
なんて極端な文章…と思ったら、
直接いただいた反応も賛否両論のようでした。

この前の新年会は、みんなから元気をもらいました。

私は幸い、まわりの人たちが、どういう社会を築いていくかを真剣に考えて、行動している人たちだから、目が覚める。

私が自分のことだけで悩んでるときに、
82歳の理事長が、新年の挨拶文で、まだまだ「思考、実践を続けましょう!」とか言うから、負けられん!と思う。

みんなに感謝です。

ただ、生きることが辛いときに、
無意識のうちに生きようとしている自分に出会うと、
こんなに清々しい気持ちになるんだなって思うのを説明しようと思ったのでした。

受験日そろそろだね。
腰大丈夫かな?健闘を祈る!

またミラでね(今月は八木さんのお野菜だよ☆)。



  1. 2009/01/21(水) 23:56:09 |
  2. URL |
  3. massun #-
  4. [ 編集]

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