ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

モデルコロニー

3月18日
寝台夜行列車に乗って、チェンナイからラジャムンダリ駅へ向かう

3月19日
9時30分 ラジャムンダリ駅に着く
途中の木陰でランチを食べ、ジープで3時間ほど移動

GBAG(Godavari basin action group)のひとつ、プラクルティというNGOの拠点、デビパットナムに着く

ゴダヴァリ河に沿ったこの小さな村が、この旅のベースキャンプとなる
4年前、わたしが初めてインドの地を踏みしめたときの忘れられない場所だ。

mtk08-29.jpg


3月20日
20キロ離れた「モデルコロニー」と呼ばれる政府が建てた移住民たちの暮らす村を訪れる
プラガサニパドゥ村、D・ラビランカ村、ボドグッデム村の三村から立ち退きを余儀なくされた人たちが、
赤茶けた畑も河も森もないこの土地へ、ごった混ぜにさせられていた。

あたえられた家々は、コンクリートのブロックが詰まれた簡素な灰色の箱が規則正しく並んでおり、なんともみすぼらしかった。
彼らの培ってきた家の建て方や、守り方が全く生かされない家だ。

そして、なんとも暑い。
太陽の下でこんなに暑くてへろへろになるんだから、こんなコンクリートの家の中じゃ蒸し焼きになってしまう。


村の真ん中あたりに建てられた偽の大理石で固めたような集会所に、移住したアデヴァシーが集まってくれた。
mtktour3.jpg


聞くと、彼らのほとんどがこの「モデルコロニー」には住んでいないという。

わざわざこの交流のため、自分たちの訴えを届けたいがために、10数キロ離れたもとの村から来たのだと言う。

つまり、一度は移住してきたものの、土地は岩だらけで耕せない、河の水は遠くて運べない、森もない、マンゴーややし、タマリンドウの木もない、家畜も置いてきた、家族が死んでも埋葬地もない・・・神もそれらの自然とともに在るため、祭りができない・・・

という彼らの暮らしと切り離せないたくさんの大切なものたちのため、移住前の村に帰ったのだと言う。

しかし、問題は山積していて、新しい村にしか学校はなく、最低貧困線以下の世帯への食糧供給もまた然り。
つまり、移住前の村に戻ったところで、以前と同じ暮らしができるわけではなく、子どもはずっと遠くまで学校に通うようになり、食糧確保に高い交通費をかけて移住先へと出向かないといけないということになったわけである。


今は、モデルコロニーとしてメディアにも取り上げられ(彼らの訴えはまったく報道されていない)、その名のとおり、モデルコロニーとしてこれから移住することになる村々からの視察も度々ある。

移住前の村に戻って暮らすことが、自由にできるのは、モデルコロニーに移り住むことを決めた彼らの特権でもある。

彼らが、本気で移住やその後の補償について、ダム開発自体について反対し始めたら、それはきっと強く大きな炎の火種になるだろうから。


ツアーメンバーの1人が子どもにたずねた。
「これから、どう生きていきたいですか」
mtktour2.jpg

男の子「医者になりたいです」
女の子「教師になりたいです」

・・・

彼らは、大人たちが補償に対して訴えているあいだも、きらきらした瞳で、私たちを、そして
ずっとまっすぐを、見つめていた。

あと10年したら、また彼らと会いたい。

会って、話がしたい。

「これから、どう生きていくのか、今、どう生きているのか」


mtk08-27.jpg



次回、「ポラヴァラム・ダムⅡ」へつづく


スポンサーサイト
  1. 2008/05/16(金) 21:53:38|
  2. 旅の思ひ出
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<ポラヴァラム・ダムⅡ | ホーム | チェンナイの空>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hitonokazudake.blog17.fc2.com/tb.php/265-24f3b177
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。