ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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みんな自分ばっかり


今まで、私は、想像しよう、想像がまず世界を変える第一歩と、さんざん言ってきた。
でも、実際は、ただ自分が想像力を欲しているだけなのかもしれない。自分には、想像したくても想像力なんてそもそも無いのかもしれない。
そんなことを、たまに思っている。

その人の気持ちや考えに近づくためには、まず同じ経験をしてみて、自分がどう感じるのかがわからないとなんだか対等に話せる気がしない。

結局、その人の話を聴いて想像しなければならず、想像力の乏しい私には困難を伴う。

そこで、路上生活者の生活を経験するために、最低限の荷物を持って当てのない旅へ出たり、港のベンチで夜を明かしたりした。
そして、1日足らずでへこたれる。
丸坊主でも、多少女性の体型は維持しているので、自意識過剰かもしれないが、やはり夜に路上で寝る場合、「おそわれるかも」と思ったりしてしまう。

そういえば、実際、男の人に強姦されそうになったことが一度だけある。
インドのモスクで、建物の修理をしていたお兄さんに螺旋階段で引きずり倒され、胸をわしづかまれるなどした。
一瞬の出来事だったが、私は以外に冷静で、この人と家族になる女性は優しく扱われずに辛いだろうななどと思ったりしながら、羽交い絞めにされていた。

幸い、応援団で鍛えたにらみでキッと睨んだら、お兄さんは逃げていき、すぐ後、合流した友人に「お・・おそわれそうになった」と言ったら、「よくあることだよ、気をつけなきゃ」と軽めに返されたので、震えていた足はやわらかく静止した。

1週間後に帰国して、鏡を見たら、5本指の黄色いあざがくっきり残っていたので、その頃は使用していた携帯電話で写メを撮ったりした。


それぐらいだろうか。
私に生きづらさをもしかしたら与えているかもしれない経験は。

あとは、大失恋を未だに引きずっていたり、小6のとき盲腸で手術をし、1週間入院したことくらいか。いずれにしても、最初のも含めて些細なことで、私に生きづらさを抱かせてはいない。

気づいてないだけじゃん?
なんて言われそうだけど、そうかもしれないけれど、私には、辛く、苦しい経験よりも、楽しく、おもしろく、素敵な経験のほうが、それ以上にあって、それらは、決して生き易さを感じさせるわけではないけれど、生きててよかったな程度には思えることたちだ。


私の22年8ヶ月の経験なんてそんなもので、
認知症のAさんが暮らしている寮のベッドでどんな思いで毎日夜を過ごしているか、
うつ病の友人が大学に通いながら何を想っているか、
事故で言葉と記憶に障害を負った友人がどんなことを感じながらうまく出てこない言葉をだそうとしているか、
統合失調症のNさんが眠れないから本当は飲みたくないけれど睡眠薬を追加してくれと言ってくるときの気持ちがどんななのか、
はたまた、北朝鮮で暮らす人々がどんな思いで日々を生きているのか、
わたしにはちっともわからない。


そこで、市販の睡眠薬を買ってまず飲んでみようか とか、
視覚障害をもつ人の暮らしを感じたいから目をつぶって2,3日生活してみようかとか、
朝鮮語を勉強して北朝鮮に実際に行ってみようかとか、
色んな考えが頭をよぎる。

まぁ、それは乱暴な想像で、実行したら、考えていること、感じていることが「わかる」といったら、そうじゃない。

ただ、やはりこう思うのだ。

今、誰かが何かに生きづらさを感じているのだとして、
その生きづらさゆえに、人や自身を傷つけたりしたとき、
傷ついた人の悲しみは、傷つけた行為そのものから来るのではなく、
傷つけた人の苦しみ・生きづらさゆえだと思う。

じゃあ、その苦しみは、生きづらさは、何故なのだろう。

それを、
傷つけた人も、
傷つけられた人も、
それぞれの家族も、
傍観しているあなたも私も、
何も知らないことになっているあなたも私も、

考えるべきだ。

自分だけが、ラッキーにも生きづらさを感じずに生きているとしても、自分と交わっている、またはこれから交わるだろう他者が生きづらければ、いつかは自分も苦しくなる。

それが、社会で生きることだと私は思う。


友人に勧められて、「ブラックジャックによろしく」9~13巻・精神科編を読んだ。精神科病院で、主人公が研修をし、主に統合失調症の患者と出会う。

私は今まで統合失調症をもつ地域のグループホームや寮で暮らす人々と出会ってきた。
が、専門家でも、経験のある支援員でもない私は、彼らの苦しみや生きざまを目の当たりにしてきたわけではなく、平凡な会話の話し相手であったり、楽しい時間を共有する一学生であった。
もちろん、その役目に意味が無いわけではないけれど、生活を支える上で、何もできない無力感は感じた。
しかし、それと共に、彼らのことをもっと知りたいと強く思った。
知っても知っても、知りきれないし、「わかる」ことは、ないと思うけれど、それでも彼らのことを知りたい気持ちが湧いてくる。

「ブラックジャックによろしく」は漫画なので、患者の幻聴や幻覚が、絵や文字でビビッドに表現され、鮮明にイメージとして伝わりやすい。
実際が、その絵や台詞どおりでなくても、想像の助けにはなるかもしれない。
少なくとも、私はそこで描かれたものによって初めて当事者側の視点に立てた気がする。

人は、他者の存在によってのみ、生み出すことのできる力や、感性があると私は思っている。

だから、他者と交わることを欲するし、他者が在って初めて自分の存在が在るのも確かだ。

想像することは、大切だ。
それをやめてしまわないことは、もっと大切。

そして、そこから一歩進んで、「出会う」ことを追求していきたい。

出会うとは「知り合う」とは違う。

目と目を合わせて、または、手と手をとるなど肌を合わせて、
お互いの存在を意識し、お互いが何を感じ、どう生きているのか、
一瞬でも交わらせ、共有できたとき、そこにやっと出会いが生まれる。

いつも通学・通勤で一緒の電車に乗る背広姿の疲れた顔のおやじが、
車椅子に乗って駅のエレベーターを探しているおばあちゃんが、
白い杖をついて点字ブロックを歩いているお姉さんが、
電車の前に座ったベビーカーの赤ちゃんのおしゃべりを無視し続ける母親が、
駅の柱にもたれかかって意識が無いのかあるのかわからない異臭のするおじさんが、

何を考えているか、考えたことはありますか?


想像し、まず出会ってみる。
そうすると、生きてるのが、日々が、おもしろくなってきます。

少なくとも、今よりは。


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  1. 2007/07/06(金) 01:29:04|
  2. kurehaの独り言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

くれは久しぶり!

私はこっちにきてから、占領された国に生きている人の生活について考えさせられて、結果的に日本が過去におこした罪について以前より現実味のあるものとして感じるようになったと思う。

自分ひとりの想像だけでは感じることができなかったことをラトビアの人と交流しながら考えさせてもらっているよ。
  1. 2007/07/06(金) 06:02:27 |
  2. URL |
  3. ルンルン #nuGDAehE
  4. [ 編集]

私は、その人たちの気持ちを理解しようとしても、無理だって思っている。
初めて「アジア人」として差別されたときに分かった。
それまでアメリカの黒人の友達と議論したりして、差別ってどんなものなのか、それを受けた人はどんな気持ちになるのか想像してきたつもりだった。
けどされてみないと、分からないんだね。
当事者にしか分からない。けれど全てにおいて当時者になることはできない。
直接的に人々と向き合って助けようとしている人って、自分が当時者だったから助けたいんだ、という以外の人はどんな気持ちなんだろうと思う。
やっぱり葛藤はあるのかな。
でもその葛藤を持ち続け、その人たちの苦しみを考え続けことが大事なんだろうな。
想像して、出会う。か。理解できなくたって考え続ける。そのことで自分を取り巻く世界は変わっていくし、そのことで起こるその人たちとの相互作用は大事だよね。
  1. 2007/07/06(金) 06:24:46 |
  2. URL |
  3. あゆみ #-
  4. [ 編集]

こんばんは。

ちょっとだけ先を歩いているぼくからすると、ぜひ簡単に思考停止することもなく、また安易な受け売りにも左右されないあなた自身の何かを紡いでいってほしいと思います。

全部が全部経験する必要はないこともあると思う。でも、蛍を初めて見た時に、蛍を頭では分かっていても知らなかったという経験を積むことはきっと良いヒントになったよね。

今日ブログに書いていた軸とはまた別の軸を見いだせた時に、きっともう一歩踏み出せた生き方ができるとぼくは思います。なんだか禅問答のようなアドバイスになったけれど、自分という存在を過不足なく受け入れられたときにきっと身体は開きます。

正直言うと、それまでの過程が一番楽しいんだけれどね。苦しくもあるけれど。
  1. 2007/07/06(金) 23:34:40 |
  2. URL |
  3. Hiro #9xsPF1TE
  4. [ 編集]

互いを意識して考えるから理解しあえる。
相手を知る時自分も知ってもらう。どんな自分でもいい。
楽しい時間を作りたい。
  1. 2007/07/07(土) 01:29:42 |
  2. URL |
  3. にへる #-
  4. [ 編集]

ルンルン、ひさしぶり!

日本では、地域によってはわからないけれど、都心部に住んでると、考えなくても生活できることは考えない。
そう、教育されるような気がするけど、まだ傷が癒えないような国で暮らす場合は、生活の一つ一つの中に、考えさせられる要素があるんだろうね。

ルンルンがラトビアにいるあいだに、kumiと行きたいな。


あゆみ

私は、「当事者」といっても、1人1人が別々の経験をしているんだと思うな。
民族や、宗教、職業や障害とか、差別する理由は同じでも、1人1人の経験は違う。
そこで、差別を受ける人が、受けたことの無い人にはわからないって言っていたら、何も変わらない。
きっと、その人たちも、なぜ自分が差別を受けるのか、差別する側から見た「当事者」と呼ばれる自分以外の人間が、どんな思いなのか、「わからない」と思う。

わからないことだらけだよ。世の中。

でも、だからおもしろい と私は思ってる。


Hiroさん

いやぁ、先輩とは直にお話させてください。

カレーリーフで南インドのカレーをほうばりながら。


にへる

大変な職場で働いているにへる。

そんなにへるが、楽しい時間をつくりたいって言うと、なんだか苦しくなるよ。
けど、嬉しい。

私は、自分を知ってもらう前に、自分を知らないとなぁ。
そっからだぁ。



  1. 2007/07/09(月) 00:05:20 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

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