ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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あたりまえ


京都の岩倉川で、初めて蛍を見た。

蛍ってほんとにいたんだ・・・


岩倉では、明治時代から精神の病を抱えた人たちが、支えあいながら地域で生きてきた歴史がある。

公園には、滑り台をすべる子どもたちとベンチに座ってただただボーっとしている大人たちがあたりまえにいる。

道すがら、散歩や昼寝中の彼らの横を通るとき、なんだかやさしい気持ちになった。

彼らが、村のどこかしこにいることが、岩倉のあたりまえ。

そのあたりまえが、日本中に、世界中に広まればいいのに。




最近、体が観念を受け入れない。

理屈や誰かの理論よりも、その根元の力強さ、五感の敏感さに心動かされる。

自分自身にもそういう部分を求め、日々を暮らしている気がする。


だから、ここに何かを書こうと思っても、以前のように力が入らない。

前から言っていることがわかりにくく、伝わりづらい文章であったと思うが、これからはより一層そうなるんじゃないかと今のうちに断っておく。



このあいだ、誰かが新聞で

「『異物』のない世界などまっぴらごめんだ。混沌や矛盾を受け入れてこそ、人は人らしく生きられるのだ」

と書いていた。


この世界は、
目が見えて、
言葉の読み書きやおしゃべりができ、
‘コミュニケーション'と呼ばれるものが成長と共にできて、
足があって歩くことができ、
苦しみもだえたことのないだろう人間中心につくられ、考えられ、捉えられている。

社会的排除・差別という概念さえも誰かのつくり出したものだということに気づかないまま、私は排除・差別「している」側の人間のくせに、排除・差別「されている」人間がどうのと平気な顔をして言っていた。


彼らの世界は、別にある。

その別の世界を、それぞれの文化や生き方を貫くことを尊重するには、私自身がまず、自分の生をしっかりと尊いものだと受けとめなくちゃいけない。


だけど、それが難しい。


私一人が生きるのに、どれだけの人や生きものの命を、焼き、つぶし、踏みにじり、奪うのか。

私の世界や、文化、生活は、ほんとうに尊いのだろうか。



日々の、勉学や政治・社会の動き、友人たちとの人間関係の中で、一瞬一瞬、そんなことを考えながら生きるのはつらい。


けれど、考えずに生きることは、考えられない。


考えずに生きることで、私は、インドやバングラディシュ、日本で出会ったさまざまな人間たちとの出会いを忘れてしまう。


それだけは、嫌だ。



生きさせられているのではなく、

生きて、生かされていると感じられるよう、

生きよう。

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  1. 2007/07/03(火) 23:13:51|
  2. kurehaの独り言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

私にとっては、蛍を見たことがないって言う人が
意外に多くて本当にビックリします。
私の田舎では毎年当たり前のように、
多くの蛍を見ることができるから。

矛盾や混沌・・・。そして偽善。
社会人になると、ますますその現実にぶち当たり、
マジョリティに属しようと努力している自分に気づきます。

マジョリティによって消される本当の思い。。。

自分の思いも消されないように、しっかり自分と現実と向き合う時間を
もたないとなぁと思う今日このごろ。
  1. 2007/07/04(水) 04:21:24 |
  2. URL |
  3. yuu #-
  4. [ 編集]

はじめましてのコメントです。

沖縄ではそういった人々を
「神の子」
と呼ぶそうですね。
それは
「この人たちには神が宿っている」
といった神がかり的な表現ではなく
「この人たちにも等しく神が宿っている」
といった感覚だそうです。
アニミズム(自然崇拝)というやつですね。

先日ご逝去なさった灰谷健次郎氏が本の中で書いていたのを
思い出しました。
そこで灰谷氏はこの「アニミズム」を
生命の平等感であると書いてます。

また、世界中の人間を殺すには
「自分が死ねばよい」
という考え方もあります。
「自分が死ねば自分の認識している世界が終わる」
=「世界中の人が居なくなる(死ぬ)」
という考え方です。
これは極論ですが
世界が他と繋がっておらず
自分が見て感じて生きている世界が「世界」である
という考え方なのでしょう。
知らず知らずこのような感覚を持った人が多い気がします。
もっと広い視野・見方
というのを多くの人が持てる状態が望ましいと思います。

話し変わるけれど、蛍、僕見たことないです。
小学生の頃は昆虫博士風だったのに
お恥ずかしい限り。。。

長々と雑文失礼いたしました。
  1. 2007/07/04(水) 08:13:32 |
  2. URL |
  3. dog-r #-
  4. [ 編集]

yuuさん

蛍がいるのがあたりまえっていいですね。
関が原・・今度、遊びに行かせてください。

yuuさんが、マジョリティと思っているその人たちの中にも、マイノリティがいるかもしれない・・・
実際、一人一人と話したら、一人一人が違いますよね。
yuuさんなら、その中で自ら異質な光を放って、彼らのしまいこんでしまった何かを引き出すことができる気がします。


dog-rさん

はじめまして。
どなたでしょう。わかりません・・昆虫博士がヒントでしょうか。
できれば、私かmassunに誰だかわかるようにメッセージをいただきたいです。

「アニミズムは生命の平等感」

灰谷さんが使われている平等という言葉は、大地に浸透していきそうな優しさをもっていますね。

言葉は、大切に大切に、心を込めて使いたい。
そう改めて思います。

他とのつながりを感じられない・・・そんなコメントをきっかけに、次の文章を書いたのかもしれません。

コメント、ありがとうございます。



  1. 2007/07/06(金) 01:37:24 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

kureha さん失礼しました。
mixiから飛んできたのですが
「それなら書いたのはmassunさんだろう」
というのは早合点だったようです。

ちなみに私は
先日massunさんwaku&masatoとお酒を酌み交わしたdog-rです。
音楽と自転車とお酒が好きな25歳です。

今後も拝見させてもらいます。
  1. 2007/07/06(金) 12:05:54 |
  2. URL |
  3. dog-r #-
  4. [ 編集]

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