ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

洞窟には出口がある



あんまり「普通」という表現を使用したくないのだけれど、今日、ごく普通の若者が、国家権力人権も、誠実さも、情もないモンスターにとって喰われ、腹の中でもがきながら這い上がっていく映画を続けて2本観た。


これらノンフィクションの映画の登場人物たちは、ごく平凡に生きていた。
アパルトヘイト下の黒人、9.11直後のパキスタン系イギリス人という人種差別の矢面に立たされていた彼らは、目立たないよう、大衆の中に埋もれて生きていた。

ひとつめの映画、「輝く夜明けに向かって」を紹介した雑誌の記事には、「なにがノンポリをテロリストに変えたのか」とある。

この映画の主人公は、1980年の南アフリカで白人の経営する石油精製所のリーダー職に就き、家族を愛し、サッカーに夢中な2人の娘の若い父親だ。

そんな彼がテロの冤罪で捉えられ、アパルトヘイト政策を忠実に遂行しようとするテロ対策担当の白人によって、妻も拷問にあったことを知り、ANC(アフリカ民族会議)の軍事訓練を受け、自ら働いていた精製所の爆破計画を仕掛ける。

物語の各所では、アフリカのフリーダムソングが歌い、踊られ、砂埃の中、本当の自由を得ることへの祈りが劇場いっぱいに浸透した。

この映画では、アパルトヘイトが黒人たちによって覆されたときを象徴するように、他者を、敵を、許すことの芯の強さ、ゆるぎなさを描いている。

エンドロールの前に主人公のパトリック・チャムーソへのインタビューが入っていて、そこでの言葉が印象深い。

「(政権交代後に再会した自分や妻を拷問した白人に対して)私の次の世代、そしてその次の世代まで彼を生かしておこう。そう思えた瞬間、私ははじめて解放された。」

あの時代の、私がまだ小学生だった時代の黒人たちの尊い生き方から、ネルソン・マンデラの「自由になるために敵を許そう」といった演説から、今の世界は何を学び、今在るのか。


胸の中に、憤りがふつふつと湧き上がるのと同時に、目の前のことと世界のことに、地球が丸くて全てつながっているのを感じながら、しっかりと向き合っていける強さのおすそわけをしてもらった気がした。


もうひとつの映画は、マイケル・ウィンターボトム監督の「グアンタナモ、僕たちが見た真実」という映画。
9.11直後のアメリカ軍の収容所に2年以上も無実の罪で拘禁されていたパキスタン系イギリス人の若者3人を主人公とするものだ。

イギリスで生まれ育ち、親の故郷で結婚式をするために休暇をとって新郎とその友人たちがパキスタンに行き、興味本位で9.11直後のアフガニスタンの悲惨な状況をこの目で見ようと国境を越えるところから彼らの悲劇は始まる。

映像の随所に本人たちのインタビューが使われているのだが、彼らが社会や政治にまったく興味のない若者であることに驚いた。

ひとつめの映画の主人公、パトリックは自分と妻への拷問によって武装集団に入ることを決めるが、この3人は、グアンタナモというキューバにある治外法権下の収容所でひどい拷問を受けてもなお、政治や人権について訴えたり、社会に問うたりする意識を持ったわけでもなさそうだった。(もちろん、冤罪で捕らえられ、拷問を受け続けたことで訴訟を起こしてるけどね。ラムズフェルドに対して。)

よくある反体制に燃える若者でもなければ、なにかをきっかけにそうなるわけでもない、当たりまえにどこにでも暮らしていそうな若者が、発狂して犯してもいない罪を認めてしまうぐらい烈しい拷問を受けている姿に、他人事ではなく、自分を、友人を重ねてしまう。
それぐらい、彼らが私たちに近い存在として映る。


今の日本の若者みんなに見てもらいたい、以前、イラクで武装集団に日本人が捕まったときに「自己責任」という言葉を口にした人すべてに見てもらいたい映画だ。


加えてもう一つ、おもしろそうな映画イベントを紹介したい。

対話の可能性 ~3つのドキュメンタリーから~

日程:3月10日(土)
場所:パルテノン多摩小ホール
HP:http://www.parthenon.or.jp

①10時~「ディア・ピョンヤン」
北朝鮮に人生を捧げる父を娘がカメラで追う在る在日一家の10年にわたる物語。(上映後、梁監督のトークあり)

②13時~「ルート181」
イスラエルとパレスチナの監督2人が、両国間の分割線をめぐるロードムービー。

③18時半~「ライファーズ~終身刑を超えて」
犯罪者への厳罰化に一石を投じるドキュメンタリー。(坂上香監督のトークあり)


周りの友人たちや、妹たち、そして山谷で暮らす人たちと接していると、世界の問題と自分がつながっていることを胸の中では感じていたとしても、自分の暮らしの一つ一つにまで意識を行き届かすことはできず、自身の問題に埋没していってしまっている気がする。

彼らの、そして私自身の、まだ光の見えない暗い洞窟に風を通すため、いつか出口にたどり着くような道しるべをつくるため、暗闇の中でたくさんの人間たちが手をつなげる位置にいたことを気づくために、人との出会いや、映画や本、歌や教養によって世界とのつながりを意識して生きたい。


スポンサーサイト
  1. 2007/02/14(水) 01:05:39|
  2. イベント
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
<<想いをつなげるために | ホーム | 赤湯より学びしこと>>

コメント

今日の、日記は、難しい。
敵を許す、ということ。

それができて初めて解放される、というのは、わかる気もする。なんとなくだけれど。
でも、自分や自分の大切な人をヒドイ目にあわせた人を、自分は決して許せない。
10年ほど、「自分にその力があったなら、人生をめちゃくちゃにしてやりたい」と思い続けている相手がいる。
その思いから解放されたいとも思うけれど、
それもどうもうまくいかない。

自分は死刑は反対派だけれども、それも、
死刑が人道的にどうなのか、ということではなく、
あっさり死ぬなんてナマヌルイ、と感じるからだ。

法律では復讐は認められていないけれど。


映画を見ていないので、
映画の内容と食い違っていたら申し訳ありません。
  1. 2007/02/15(木) 01:59:43 |
  2. URL |
  3. 匿名 #-
  4. [ 編集]

以前、友人からコメントをもらったときも書いたのですが、ぜひ匿名ではなく、私かmassunのどちらかがわかるように名乗っていただけると嬉しいです。
そうしないと伝わるものも伝わらなかったり・・。

といっても、インターネットの世界なので、まだ出会ってない方かもしれません。そうだとしたら、それはそれで自己紹介がほしいな。


さて、敵を許すことで自分が解放されるという話ですが、これは非常に難しい話で、アフリカの人民はマンデラというリーダーと多くの仲間や家族がいたからこそ、これを成し遂げられ、かかわっている当事者が個人対個人であればあるほど(人種差別も結局は個人対個人なのかもしれないけど)許すことなど到底できないという風に、なるのではないかと想像します。


死刑制度については、たくさんの意見があって今があると思うのですが、私は、人間でもほかの動物でも植物でも他の命を犯すことは誰にも許されてはならないと思っています。
すべての他の命によって自分が生かされていると思うから。

  1. 2007/02/15(木) 06:58:00 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

つけたし

映画の中のパトリック・チャムーソも、ネルソン・マンデラも、「許す」という行為をおこなったわけではなく、最も憎い相手に対して最低限の尊重をしたことで、自分の尊厳を守りぬき、かつ一生を通して「許す」という過程を築こうと、生き抜こうとしているのではないか、と、ふと思い、つけたします。

  1. 2007/02/15(木) 07:22:32 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

映画、観てみますね。

すみません、kurehaさんともmassunさんとも知り合いです。
が、ここでは匿名とさせて頂きます。

今度、実際に会った時にお話をしましょう!
  1. 2007/02/16(金) 01:11:56 |
  2. URL |
  3. 匿名 #-
  4. [ 編集]

わかりました。

でも、会っても私たちはわからないのでちょっとずるい。

・・いや、しかしコメントは嬉しかったです。
顔を合わせてお話しする日を待っていますね。
ありがとうございました。
  1. 2007/02/16(金) 12:58:22 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hitonokazudake.blog17.fc2.com/tb.php/209-8fb4ba9c
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。