ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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わかりやすさを好むあなたへ


‘今’は明日へのつなぎ目ではなく、永遠であり、最終到達点である。

自らの内心の声を聴く

単独者として在る

他者の内心の声を聴く

迷いながら、どもりながら、言葉を発する

認めることのできないことを静かに、いつまでも拒む


これらを犯すものには最後まで抗う
それができなくなれば沈黙の海に入水する


これは、12月7日に辺見庸さんの話を聴きに行ったときに彼から出てきた言葉だ。

今を、この瞬間を生きている人たちの中に、心の底の底から言葉をつかみとって放つことのできる人間がいるのだろうか。

いるのだとしたら、まさに彼がそうなのだろう。


主体性のないところで暮らしていくのは、楽だ。

だけど、大量生産、低賃金重労働、非正規雇用を土台にした企業で毎日のルーティンワークをこなし、飲み屋では政治的な話や環境問題の話をしたところで、ただただむなしい。

体と心と意識と思考がバラバラになっている。



最近、いろんなところで、いろんな人たちが、天皇制に関する言及をしている。

そして私は、そろそろ日本が変わるころなんだろうと直感的に感じる。

実際、小説家や、作家、ミュージシャン、アーティストといった独自の表現方法を持った人間たちが、非常にわかりやすい言葉を使って社会に、世界に、私たちに訴えかけている。

彼らに、あらゆる社会問題に対して、わかりやすい言葉の使用をさせてしまっていることは、私たちにとっての恥ではないだろうか。



昨晩、首相会見を山谷のある施設のTV画面で見た。

私は、18人分の洗い物の手を止めて、TVの近くへと寄った。

急に水の流れる音がなくなり、リビングで他利用者の徘徊と収集癖についてぶつくさ言っていた何人かのおばあちゃんたちのおしゃべりも一瞬途絶えた。

が、耳の遠い彼女たちは、TVの首相のはっきりとしないしゃべり方はキャッチしないようで、自分たちの目に見える問題についてだけぺちゃくちゃおしゃべりを続ける。


彼女たちのおしゃべりをバックに、TVの中の首相は、「憲法改正を任期中になんとか果たしたい」と話していた。


これが現実だ。


彼女たちにとっては、共同生活の中での人間関係や、残りの生活保護費でどうやりくりしていくかという問題のほうがよっぽど深刻で身に迫っている。


なんだか、私は悔しかった。


彼女たちに寄り添って生きることで、生きにくくさせられている人たちこそ、世界を変えることができると信じることで、ただ自分が居心地のいい場所に、都合のいい場所にいたかっただけなのか。


国家は、国民を精神的にも肉体的にも経済的にも、危ういところへ追い込み、何かすがるものを必要とする状態にする。

それは、恋人か、家族か、国への愛か。

自らの拠りどころを守るために危ういところに追い込まれた人間たちはどうするのだろうか。

はたまた、守るものなど何もなく、自らの立って居られる場所が無くなってしまった人間たちは?

隣人を、そして自らを信じることのできない人間たちは何処へ向かっていくのか。


もう楽観視は、私にはできない。

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  1. 2006/12/20(水) 12:21:10|
  2. kurehaの独り言
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