ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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ブレーキ

この世界は狂ってきているんじゃないか。

そんな問いが私の身体全身を襲う。
そして、それと同時に


なにひとつとしておかしいことなんてないんじゃないか。
(=おかしいのは、狂っているのは私なのでは?)


こんな問いがはじめの問いに覆いかぶさろうとする。


戦争、貧困、環境、人権、食、暮らし方・・・これらのことを考えているとき、ときどき、パンクしそうになる。

私の手には負えない。

世界には、余りにも問題が多すぎる。

そして、その問題を問題と思っていない人が多すぎる。
自分とは、関係のないところで起こっているんだと思っているのだろうか。

多すぎる・・っていうか、テレビの中、電車の中、街の中、みんなそういう人に見える・・っていうことは・・
あれ?
そっちがフツー??


まぁ、そんな感じで、わけのわからんようになってくるのです。


私が寄りかかるのは、たいてい、壁。
か、もしくは、壁にたてかけた枕くらいなもので・・まぁ、1人寂しく考えてばっかりいるとそうなってしまうのです。
massunがいるから、寂しくないけどね。


最近、よくいろんな場面で思うこと。

それは、マイナス面ばっかり考えて、嘆いて、うなだれて、悲しんでっていうんじゃなく、プラス面から考えて、笑って、野望を抱いて、自分で自分を持ち上げることが大切なんじゃないかなということ。

たとえば、戦争。
NO war YESでも前に創作したりしたんだけど、戦争によって奪われてしまう可能性のあるもので、自分の大切なもの、好きなものを思い浮かべてみる。
まぁ、人でもモノでも出来事でもなんでもいいんだけど、今、あたりまえにできることを見直してみること、そのありがたみが実感できると、これができなくなったら、会えなくなったらやだ!って思って、なにかしなきゃ!ってなる。

そういうモチベイトの仕方って、楽観的かもしれないけど、批判ばっかりするより、好感持ちやすいし、やってみる価値はある。


今日は、杉並区の教師組合主催で行われている歴史連続講座に単発で参加してきた。

ゲストが、DAYS JAPAN編集長・フォトジャーナリストの広河隆一さんで、講座の演題が「今、戦争を考える」だったので世界の戦争を撮っている広河さんの日本の戦争に関する見識を聞きたいと思ったからだ。

行ってみると、中年より上の人ばかり。
まぁ、いい。
慣れている。

広河さんの話は、暗い部屋の中でスライド写真を見ながら進んでいった。
アフガニスタン、イラクの話、レバノンの話、メディアが攻める側の目線でしか物事を伝えず、軍隊の人道的な部分を見せ、落とされた爆弾がどのような人の上に落とされて、その人たちがどうなったのかということを伝えないことへの批判、さらには、戦争の99%が見るにも見れぬような無残な姿の死をつくりだし、決してきれいごとではないことを強く主張していた。

日本のことについては、最後に少しだけ涙が出るのをこらえきれない様子で話していた。
今、起こっている戦争や人殺しの現場に行って、これ以上ひどくならないように、同じようなことが繰り返されないように、必死に活動しているジャーナリストや支援NGOなどへのあまりにひどい批判に関して。

泥だらけの前が全く見えない窓の車内。
横で誰かが「進め」と囁いている。
ワイパーは、壊れている。
そして、すぐ前方には少女が立っている。


そんな状況。

以前なら、ワイパーの役目は、思想家や歴史家、ジャーナリストなどが担っていた。
しかし、その役は、いまや前に進むことにやっきになっている助手席の隣人からのバッシングや圧力で身動きが取れない、または、大衆の目に、耳に触れることが難しい。

そう言って、彼は私たちにとってワイパーの役目を果たしてくれた。

前方の少女に気づいて、私はブレーキを踏むことができるだろうか。


人間が人間を破壊する。
破壊された方も、破壊した方も、おかしくなる。
9.11もそうだけど、殺した方も殺された方も、殺戮の現場にいる人間は両方、被害者であり、加害者だ。
戦争をはじめる人は、現場にはいない。

「蟻の兵隊」を観て思った。

第2次世界大戦。

一人一人が、戦争を止められなかった。

最近の中東の場合は、国家と民の隔たりが大きく、突然、民の上に戦争が、爆弾が、飢餓が降り落ちてきた。

日本の場合は?

日本は建て前でも何でも、民主主義の国だ。
まだ、共謀罪は成立されていない。

50年後の若者に、あの頃の若者はなにをやっていたんだ?と憤慨されぬよう、安保闘争のときの世代をぎゃふんと言わせられるよう(ほんとは一緒に歩むべきだけど)、私たちは、私たちのやり方で、生きる権利を行使しないと。


人々の意思が戦争を止める日が必ず来る
By DAYS JAPAN


最初に書いた2つの問いは、私にとって、自分の生を受け入れるか、受け入れないかという問いと言ってもいいかもしれない。

私は、受け入れられるような生を生きるぞ。




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  1. 2006/09/30(土) 02:25:35|
  2. kurehaの独り言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

まいど♪

くれはちゃん久しぶり~!・・・は、こっちだよねぇ。
massun記に書いちゃう、とんちんかんな人がいる。

kurehaちゃんも、きっと会社組織には馴染めないやろなぁ。

多数派が美徳の世界だから・・・

でもいいんじゃない!?
会社でリーダーとなるまで頑張るか。
誰も振り向かない小さなことをこつこつやり始めるか。

ポイントは・・・共感するか・しないか だと思う。

人に迷惑をかけない程度に、
生きたいように生きる・・・これしかない。
  1. 2006/10/11(水) 11:03:13 |
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  3. makishin #-
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