ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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紫波の森で思ったこと

昨日、おとといと岩手県の紫波町という町で間伐作業をしてきた。
大学の友人たちで4年生になってから自分たちの活動を継続させるためにつくった森づくりサークル「森林会(しんぼくかい)」主催。
今回が3回目の間伐作業&町民との交流となった。

とは言っても、いつもこの時期はインドをフラフラしていたので私は初参加。この間、徳島でチェーンソーを使わせてもらって檜を倒したことで、不安が少しばかり自信になったのと4年生の友人たちが多く参加することに背中を押されて行くことを決めた。

これは、徳島の木頭村で山の中に入ったときの杉たち。

20060910150344.jpg

山・森

この2つがなければもない。


そして、屋久島の森に入って実感としてわかった。

やっぱり森も生きものなんだということを。

屋久島の森には、苔だけで10数種類、いや、それ以上の種類のものが生えていた。
木々も一つ一つ存在感があり、山の形も絵に書いたもののようではなく、でこぼこで不恰好、でもとても親近感が湧いた。
一つ一つが息をし、陽光を浴びていた。

私は幼い頃、絵を描くのが好きだった。
思い返してみると山の絵、森の絵を描くときは同じような木をたくさん並べて描いていた。
それが山だと思っていた。
でも、それは山や森のもともとの姿ではなかった。

きっと屋久島で生まれ育ったこどもたちは色んな木の生えた山や森の絵を描くんだろう。
日本中の子どもが森の絵を描いたらどんな風になるんだろう。


高度成長期に森林はすごい勢いで伐採された。
そして、もっともっと供給するためにたくさんの苗木を植えた。
それらはとても密集していて、成長期が終わり、諸外国からの安い木材が入ってくるようになって人間からずっと放っておかれた。

意図的につくりだされた森たちは国土の60%が森林の日本の中のほとんどを占めた。
いまや原生林はとても貴重とされている。20060910150728.jpg


これは徳島の杉林だけど、この写真と同じようにおととい入った紫波町の森もはじめは真っ暗だった。
20060813190242.jpg


下草を刈り、細い木を伐り、枝打ちをし、杉を間伐する作業が丸2日間続いた。
鉈(なた)とのこぎりを握り締めて作業をしていたので利き手の腕から先が筋肉痛だ。
グーパーと動かすときに気持ちのいい痛さが走る。

学生30人と町民の方、森林ボランティアのおじさんたちとで作業をし、2日目にみんなが疲れて眠くなってきた頃、山の上からはじめは見えなかった麓のコスモス畑が、杉の木々に隙間ができたことで見えるようになった。明るい光が森の大地まで入ってきていた。

紫波町では、間伐材を建てものやストーブの原料、肥料などにして循環型社会を目指している。

もしかしたら、山の中のルールを全く知らない私たちは山を荒らしてしまったかもしれない。
パソコン変換では出てこないが、「木」へんに「山」で「そま」という文字がある。
紫波町の地元のおじさんが教えてくれた。
木山 人(そまびと)」で山や森に詳しい人のことを言う。
そのそまびとからしたら私たちのような都会の若者が、神聖な山の中に30人もぞろぞろと入ることに抵抗があっただろう。
私たちの作業は、遅いし、効率が悪いし、見ていられないようなものだったと思う。

それでも町の人たちは私たちを受け入れてくれた。
何度も寄り合いをひらいて受け入れることをみんなで決めてくれた。
今回は、地元の奥さんや子ども、若者との出会いはあまりなかったものの、これからその辺りは少しずつ広げていければいい。

私が言うのも変だけれど、作業の出来の良さ悪さではない。
都会で暮らす私たちが紫波に行って思ったこと、感じたことをどう東京での暮らしに生かすか、紫波で私たちを受け入れた町の人たちが改めてこれから森とどう向き合っていくか、森の手入れをすることと自分たちの暮らし方をどうむすび、つなげていくかということが1番の課題だ。


人間の手が入った森は、人間がいつまでも手をかけなければダメになる。
生きた森をそこまでにしてしまった代償を私たちや、私たちの次の世代、次の次の世代が払っていかなければいけない。

生きた森をいつまでも生かすために。
そして、それらの森によって自分たちが生かされるために。

きっと今からでもできることがたくさんある。

小さいことでいい。

1人で大きいことをやるよりもたくさんの人が少しずつ地球、そして自分に優しい暮らしをすることが色んな、ほんとに色んな問題への解決に向かわせてくれるような気がする。




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  1. 2006/09/10(日) 16:07:43|
  2. 旅の思ひ出
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