ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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インターン修了報告

以前、載せますと言って載せずに1ヶ月が経とうとしています。忘れた頃にさらっとね。
6月18日の市民社会想像ファンドインターンシップ修了報告会で発表した文章をそのまま載せます。
未熟でどうしようもない文章ですが、物好きな方は読んでみてください。

写真は、修了報告会の当日に展示させてもらった写真や山谷のおっちゃんたちの創作作品です。

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はじめに 山谷の状況 
生活保護受給者世帯は102万世帯を超え、全体の受給額は10年前より1兆円増えています。生活保護とは、憲法第25条1項にあるように「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことができるよう誰しもに保障されている生きる権利を支えるものです。
ふるさとの会で支援している人たちの多くは生活保護受給者です。配布した毎日新聞の小さいほうの記事にあるように1996年に東京都と23区が決めたルールに従って23区内から山谷に保護受給者が送り込まれています。大きい方の記事には、ドヤ住まいの人たちの悲惨な生活がつづられています。この記事にも何人か登場人物がいますが、今、山谷に送り込まれてきている人たちは、男女問わず様々なバックボーンを持っていて、以前に増して山谷地域の支援のニーズは多様化しています。

ふるさとの会の役割
これまでは、ふるさとの会の活動目的は「路上生活者の自立」と「路上から人生の最後に至る前のサポート」と位置づけられてきましたが、ニーズの多様化に伴い、ふるさとの会における「ホームレス」の定義がもとの狭義の=野宿生活者から不安定居住層全般を指すようになり、段階的な支援や分野別の対策を行い、多くのニーズにこたえようとしています。
NPOの活動を具体的に見ていくと、東京都の委託事業である山谷地域の60歳以上の高齢者の居場所提供が目的の敬老室の運営、自立のための中間通過施設と呼ばれる宿泊所の運営、就労支援事業、地域生活支援事業、仕事探しのために東京都が建てた自立支援センター墨田寮の運営、地域生活移行支援事業、厚生労働省の委託事業である技能講習、そして、山谷に住む人たちからの相談受付・交流などがあげられます。
また、それに加えて、ボランティアサークルが行っている隅田川河川敷のブルーシートへのアウトリーチも支援につながることがあります。

この段階を踏んだ事業の中で、私はなるべく全体を見るべくいくつかの事業所に研修にいかせていただきました。私が活動した現場は、敬老室、路上からアパートに移った人が相談やアパート保証を受けたり、食事をしにくるリビング、そして宿泊所である千束館、せせらぎ館に3ヶ月ぐらいずつ通いました。10月からは唯一の女性の宿泊所である日の出館で夜勤職員としてアルバイトで働いています。
また普段の業務では利用者との交流が限られるということもあり、月に2,3度は必ずあるイベント(誕生会、新年会、そば打ち、カラオケ、ボーリング、遠足など)に参加し、なるべく目線を同じにして話を聴ける関係性を築くよう心がけました。

NPOの現状・現場職員とおっちゃん、おばちゃん・・
今までにない新たなニーズに対応するために、NPOふるさとの会は、今、事業拡大に大変積極的です。この1年間で新しい施設が2つできました。新しいことに対してのアイデアや思いつき、行動力があり、行政との連携もスムーズにとっています。
たとえば、三宅島への支援活動におっちゃんたちを派遣したり、地域活性化のため、山谷の真ん中を横切るいろは会商店街での緑化活動や地域通貨などもこれまで試みてきました。しかし、これらは継続されることなく、中断か破綻していってしまっています。それは、人手不足の問題もありますが、最初の思いつきからの勢いがアクションに移したことで落ちてしまったという悔しい結果でした。
そして、NPOの大本であったボランティアサークルでの炊き出しやアウトリーチ活動も少しずつ衰退してきているように思います。大きく見れば、NPOが地域に移行しようとしている人たちへのサポートに力を入れようとしていると言えますが、小さく見れば、山谷地域にも隅田川にもまだ多くの路上生活者がおり、若者や女性も増加してきているのにその最下層にいるのではないかと思える人の支援に手が届かないことをわかっていてほうっておかざるをえない状況のように思えます。すべての人への支援は厳しくても、原点となったところを見つめていくことはやめてほしくないというのが私の考えです。思いつきでなんでもやれることがNPOの強みでもあるけれど、持続していく踏ん張り、アピールの持久力が本来の目標達成に向けて必要であることを強く感じます。
そして、また、このボランティアサークルが唯一の学生や一般の人たちがふるさとの会に入って来れるツールであることも忘れてはならない事実です。おっちゃんたちの閉鎖的な空間に小さな風穴を開け、風をそそぎこむことで、おっちゃんたちが若い世代からエンパワーされることもあります。直接的な支援はできなくてもおっちゃんたちに伝わるなにかを持って訪れるボランティアはあとを断ちません。その人たちとおっちゃんたちの架け橋という大事な役割を、実はインターンが担う場面が多くありました。その一つとして、問題意識を持ってやってくる学生などのボランティアと月に一度のいろは会商店街への夜のアウトリーチをインターン中心にはじめました。正確に言うと、以前もやっていたことなので、再開したというべきですね。これからもこのアウトリーチを続けていき、小さなことを、大切にしていけたらと思っています。

このように私は、活動をしていく中でNPOの中の矛盾みたいなものを感じながら、路上生活からステップアップした人がこぼれ落ちるのを、今とおった道ばたで死んだように寝ている一人一人の人間を、無視して活動せざるを得ない状況に「ちょっと違うんじゃないか」と思い、他の路上生活者支援関連のNPOをいくつか訪れてみました。
もやい、スープの会、隅田川医療相談グループ、若者勉強会、大阪・・・
すると、いくつかのNPOとふるさとの会の相違点は、現場職員一人一人の理念・信念をモチベイトするなり、下支えする基板があるかないかということでした。
はけ口は、その人自身の心身にあり、それはNPOの支援を受けている人に直接伝わります。あの職員さんは疲れているから、今は体を壊しているから、一人で一生懸命頑張ってくれているからとおっちゃんたちのほうが気を遣う。心配する。
それって、かっこ悪いことかもしれないし、効率が悪いかもしれない。なにかあったときに疲れていて気づけなかったりしたらその人自身も辛い。でも、その関係性が私にはなぜかほほえましく思えるときもありました。
ふるさとの支援を受けている人たちはそれぞれ様々な人生を歩んでいて、さんざん人に傷つけられたり、傷つけたりしてきた人が多くいます。人に言えないことを抱えて一生を終える人もいます。
それを職員は心得た上でそれを超えたその人の今を見つめる作業をします。今のその人の存在を尊重し、「ここに居ていいんですよ」というメッセージを送ります。
おっちゃんや、おばちゃん、おねえさん、おにいさんたちはそのメッセージを人間の嘘や矛盾やずるいところを卓越したどこかやすらかな気持ちを携えながら受け取っています。
お互いがお互いの存在を許し合っているのだと私は見ていて思いました。

対人援助における関係性の築き方
先ほどから多様なニーズがあるという話をくりかえしてきましたが、山谷には、路上生活者だけではなく、知的・精神・身体の障害を持つ人や、家族になにか問題があって一緒にいられなくなった人など、ほんとうに様々な人が男女問わず集まってきます。それゆえ、ニーズが溢れて受け皿から常にこぼれ出ている状況です。この地域でふるさとの会のインターン兼アルバイト職員として1年間活動してたどり着いたのは、一つ一つ地道に続けていくことが支援を受けている人や地域で暮らしている人々との信頼関係を築く上でとても大切であるということです。
たとえば、はじめのうち「こいつ誰だ?」という目で見られていた一方通行の関係が「あの姉ちゃんまた来たぞ」から「珈琲でも飲むか?」になり、「実は競馬ですっちゃってよ」「昔、女房に先立たれてからは大変で・・」という感じで少しずつ隣に座って話が聴けるような関係性を築いていきました。
しかし、やはり山谷に生きる人、生活保護受給で宿泊所にいる人たちに対して、直接その人の生き方、命にかかわることをサポートすることの重さは毎回痛烈に感じていました。その中では、どれだけ自然な関係性を作れるかが勝負でした。職員にしろ、インターンにしろ、ボランティアにしろ、一人の人間として相手を見、自分も一人の人間として相手と交わること。当たり前だけど、難しい。それができる余裕のある職場づくり、職員にとっても一つの居場所であるような職場づくりをしていく必要性があり、その作業こそふるさとの会の活動目的や目指すことへのはじめの基礎工事にあたるのだと思います。

自分の中の変化・これから
1年間かけて、山谷に通い続け、そのようなことを考え、感じてきた私ですが、実は山谷の活動だけでなく、並行していくつかのことをしてきました。その中には、山谷の活動を通しての出会いに支えられ、新たに始めたこともあります。
 
そんな中身の濃い1年を過ごしながら、自分の中で変化したことがあります。それがはっきりと去年の今頃書いたSSCSインターンの応募をしたときの小論文に残っていました。
1年前の私が書いた文章を少し引用します、


私は、大学の教職課程の教授を介して、様々な日本に住む弱者と出会ってきました。重い先天性の脳性麻痺の夫婦・三大ドヤ街の1つ、寿町の簡易宿泊所で暮らす人々とそこで識字教育をしている人・自国で政治運動をして国を追われ、日本にやってきた難民の人々・ジェンダー問題に向き合い、戦い続けている人・在日韓国人・精神障害者・・・・など本当に多様な人々が私と同じ日本で暮らしていることを知りました。渋谷の雑踏の中にいる多くの人々が見えないように、彼らのことも今まで見えていなかっただけだということ、見なくていいという社会概念が私たちの根底にあるのではないかということを恐ろしく感じ、彼らとかかわり、同時に自分自身にも向き合って行きたいと考えるようになりました。
そしてまた、彼らのことを私たちマジョリティ(多数派)に対してマイノリティ(少数派)と呼ぶことにとても違和感を抱き、共に生きるものとして支えあいながらも、区別しないで暮らしていける社会を目指すべきだと強く感じています。

共生をうたっているように思われると思いますが、私はこの頃、マイノリティを一つ一つのカテゴリとしてしか見ていなかったように思います。1年を通してやっと私という一人の人間として彼らと出会うことができ、今は一人一人の人間として何ら特化せず向き合えるようになりました。
そのきっかけとなった発見が「人の多様性」でした。あるとき、今まで路上生活者、ドヤ生活者、アパート暮らしの人とカテゴリに分けて見ていた人たちが、すべて違う人に見えたのです。その瞬間、私は「個」を自分の中に、山谷の中に、社会の中に感じました。
それからは、山谷に行くと毎回初めてのものを食べるような感覚で、個人というものの色の鮮やかさに目がくらみそうになる日々が続きました。普段の都市生活では見えてこないみんなそれぞれが持っているものがあり、とてもおもしろく、可能性にあふれているということを学ぶことができました。その中で、今の自分を形成するものやことはたくさんあるのですが、その中でも特に皆さんに伝えたいのはやはり人との出会いです。
山谷を通じた出会いによって私は人生の一つの道を選ぶことができました。日の出館のある女性との出会いとやりとりから専門知識の必要性を感じ、精神保健の勉強をするべく専門職大学院に進むことに決めました。

そして、個々の顔が見えてきたことと同時に、私の中でもう一つ大きな変化がありました。

山谷で生活をする人々と出会い、かかわっていくうちに、インドやバングラディシュで出会った駅に住む子どもたちや売春婦の子どもたちとのかかわりよりも言葉が通じるということ、生活する国が同じであるということで、よりその人のことを深く、また、汚いところまで見ることができるということに気づきました。途上国の人たちとの関係がそのときだけ、一過性になってしまいがちなのに比べて、自分の中で山谷の人たちとは継続的にかかわらざるをえなくなっている。もう自分はこのどうしようもないおっちゃんやおねえさん、おばさんたちを放って海外に行くことが心許なくなっていることに気づいたのでした。
それでもインドやバングラディシュで出会った人たちとつながり続けているのは、自分の視野を狭めたくないから、そしてそれぞれがそれぞれの場所で問題に向き合ってよりよく生きようとしていることを伝え合い、支え合っていきたいと思うからです。


最後に、1年前、私が強くこうありたいと憧れを抱いていたソーシャルワーカーについて、今の考えを山谷風につづった(うたった) ものを読ませていただきたいと思います。


その地域で暮らす一人一人みんながソーシャルワーカー。
いろは商店街の入り口付近にあるカフェバッハ。
数十種類の珈琲をいただける有名なカフェだ。
ここには毎日たくさんの路上生活者、またはドヤ生活の日雇い労働者のおっちゃんたちが出入りする。
常連でマナーのいいおっちゃんもいれば、ただの酔っ払いやアル中のおっちゃんも入ってくる。
そこで、店員さんは店の中で何度も同じ話をするそのおっちゃんの話に耳を傾け、あまりにもうるさいと外に出て話を聴く。
それが、本当に「聴く」という態度ではないとしても、外見だけで、中身は聴く気なんてないとしても、それは聴くという行動であり、おっちゃんたちは話を聴いてくれるカフェバッハの店員を必要としている。
彼らもまた、ソーシャルワーカーであり、いろは会商店街で惣菜を売るおばちゃんもまたソーシャルワーカーなのだ。
地域の人々がみな一人一人役割を持っている。

やはり、人は一人では生きていけない。



この1年間で出会った様々な人たちは確かに私の中に刻まれています。

ありがとうございました。

2006年6月18日(日) 4:10

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  1. 2006/07/15(土) 10:05:52|
  2. kurehaの独り言
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コメント

しめの言葉

>地域の人々がみな一人一人役割を持っている。


なるほど。そうだねえ。

四国には、お遍路という風習がありますが、「職業遍路」と言って、延々巡礼を続ける人たちがいます。言うなれば、ジプシー。帰るところが、ないのだそうです。

 そんな人たちを、四国の人たちは、温かく迎えてくれます。かくいう私も、百姓浪人を5年ほどしていた、宿無しでした。

 今では、四国という、残りの人生をかける場所が出来、四国の土になろうとしています。

 インターン、おつかれさまでした。
  1. 2006/07/17(月) 21:54:31 |
  2. URL |
  3. アベッカム #-
  4. [ 編集]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2006/07/21(金) 03:34:46 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

初めてブログというものにコメントを書き込むので、少し緊張してます。
報告書、すごく面白かったです。
「一人の人間として相手を見、自分も一人の人間として相手と交わる」
という言葉が、心に残りました。
学校で、精神障害の患者さんと関わる際には
「自分の周りの人と同じように、普通に接する」ことが一番大切である
と学んだことをふと思い出しました。
そうできたら、人との出会いが楽しくなるだろうなと思った。
あと、旅行記も、自分が実際に行ってるように感じられて、面白かったです。
ボウズ頭も格好いいね。
それと、今、医療相談会以外も見てみたいと考えています。
アウトリーチのことなど、また相談させて下さいな。ではまた。

  1. 2006/07/23(日) 17:29:31 |
  2. URL |
  3. 奈良 #-
  4. [ 編集]

ぜひ夏祭りに☆

こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
7月は18日から31日まで屋久島→高知→徳島に行ってきました。
船によく乗る旅だったので、とっても気持ちのいい移動ができて、いろいろ面白い人にも会えたし楽しんで帰ってきました。
医療相談会にはなかなか行けずじまいですが、よかったら8月19、20日に山谷で行う夏祭りに来てみて下さい。
去年、泊まりがけで参加しましたが、とっても楽しかった思い出があります。
また違ったおっちゃんたちの面も見られるかも。

それでは、近々会えることを期待しています。
  1. 2006/08/03(木) 14:21:55 |
  2. URL |
  3. kureha #-
  4. [ 編集]

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