ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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山谷について

iroha


明治通りの泪橋交差点を中心に、台東区清川・日本堤・東浅草と荒川区南千住にかけて広がる地域。ここら一帯が、日雇労働者の町、そしてまた、地図に載っていない架空の地域として俗に知られる山谷(さんや)と呼ばれる地域だ。

と、こんな具合に、先週の日曜のインターン中間研修報告のためにまとめたものから抜粋して(って言っても、私の相棒がまとめたものが多いけど)山谷について私なりの見解を示したい。
この情報が絶対ではないので、間違っているところがあれば誰でも指摘してほしい。

山谷地域は、江戸時代から宿場町として発達し、各地から流入した都市下層民の住む地域だった。同時に、江戸幕府の政策によって遊郭で有名な吉原被差別部落もこの山谷周辺に作られた。
yoshiwara



昭和30年代の日本経済高度成長期以降、土木・建設作業における労働需要が高まり、この町の日雇労働市場はおおいに栄えた。昭和39年の東京オリンピックに向けて進められたビルや橋桁建設などは、日雇労働者の彼らの力なしにはあり得なかった。

私事だけど、古くから日雇い労働をしてきたおっちゃんたちと話をすると、光が丘の団地の建設現場にいたという人にも結構出会ったりする。
そんなことを聞いてしまうと、だいぶ廃れてしまった山谷の風景や、そこで暮らす人々が今までよりずっと近くに感じてしまう。


話は戻り、バブル崩壊後の不況に伴い、労働需要は減少し、労働者の高齢化も進み、ますます仕事を得られず、さらに行政の就労対策や福祉対策が遅れたことにより多くの人が路上生活を余儀なくされ、現在の状況に至った。

そう、つまり、ホームレスをやりたくてやってるんじゃなくて、ずっと日雇いで、その日に働いた分のお金をもらって、お酒飲んだりご飯を食べて、ギャンブルする人はして、仕送りする人はして、簡易宿泊所(ドヤ)っていうこれもまた日払いの3畳一間の部屋に泊まって・・・っていう毎日を過ごしていた人たちだから、日雇いの仕事がなくなれば、彼らがずっとしてきた生活はできなくなる。
他の生活なんて今更できない。
そんなわけで、お金が入らず、やむを得ず、道端で寝ているのだ。

こういう地域は、日本に3つあり、東京の山谷、横浜の寿、大坂の釜ヶ崎が三大ドヤ街(寄せ場)と呼ばれている。
私が、このドヤ街のことを友達に説明する時は、決まって「日本にこんなところがあったなんて全く想像できないようなところ、まるで東南アジアのような雰囲気」というような感じで話をする。また、「地図に載っていない」ことや、寿には(他の地域にもいるだろうけど)「文字の読み書きができない人がいることから識字教室が開かれている」というようなことを言うと、みな、とても驚く。
私も、実際行ってみて、ショックを受けた。
アジアやアフリカの貧困問題に興味があった私にとって、こんなにモノに溢れた日本にも、まだ貧しくて苦しい生活をしている人がいることを実際目にしたからだ。

もちろん、途上国の貧困問題とは経緯や種類が違う。しかし、日本の問題は、深刻だと思う。
なぜかというと、一般市民はそのことを問題視するどころか、見てみぬふりをすることが多いし、行政側も貧困層を排除する意識が強く、決して根の部分を追求しようとはしない。ドヤ街は、社会の掃き溜めであり、そこで生活をしている彼らは、まぎれもなく日本社会の厄介者として扱われているのだ。

それを、彼ら自身も知っているからこれまた厄介である。

たとえば、山谷地域の特徴として、路上生活者やドヤ生活者だけでなく、地域住民が暮らしていることが挙げられるのだが、山谷の中心で、かつては日本一栄えていたとも言われている「いろは商店街」というアーケードがある。
しかし、今では300メートルほどあるその商店街もだいぶ廃れ、写真だと見にくいかもしれないが、店のシャッターは一日中降りているものが多く、店の前に寝られたら困ると、自転車を並べて路上生活者対策(=追い出し・排除)をしている店舗も多い。

ある夜、一人でこの商店街を歩き、寝ている人を数えると71人いた。その日は、まだ秋ではあったが、だいぶ寒く、私も気づかないうちに足早になっていた。
まだ21時半をまわったばかりだというのに、そこの空気は、深夜の空気で、ものすごく寂しく、悲しい空気だった。

この問題にかかわろうとする時、彼ら一人一人と出会っていかないことには、どうにもならない、と私は思う。

多くの時間を一人の人間としてではなく、労働者として生きてきた人たち。
その人たちが、今では、高齢者になり、障害者になり、福祉の対象になっている。
しかし、行政からの支援など、今更要らない、生活保護なんて受けるのはみっともないという思いがあったりで、なかなか路上からぬけ出せない。

実は、もうずいぶん長い間、寂しい想いをしているくせに、おっちゃんたちはかなりの意地っ張りなのだとよく思う。


思いをつづると、ものすごく長くなるので、今日はこの辺で終わりにする。少し教科書的な部分もあったけど、どうかな。伝わったでしょうか。

もし、自分の目で見てみたいという人は、12月29日(木曜)~1月3日(火曜)の8時半~17時まで、山谷で越年冬祭りを開催するので来てください。
炊き出しや物資渡し、聞き取り調査などで山谷の路上の人たちと出会うことができると思います。一日でも大丈夫ということです。29・30・1日に来られる人で希望者があれば、私が17時半頃から山谷をぐるーっと一まわり案内します。
問い合わせは、KUREHAにメール、もしくは、コメントまで。
iroha2



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  1. 2005/12/15(木) 13:47:04|
  2. 共有したいこと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

 大阪の釜ヶ崎地区は、今は愛隣地区と呼ばれていますよん。
 ・・・って、余計なお世話だったらゴメンなさい><
  1. 2005/12/16(金) 03:02:27 |
  2. URL |
  3. tiharu #-
  4. [ 編集]

余計じゃないし!

あいりんってそういう字書くんだねぇ~。
ありがとう、tiharu。

他の方も、感想・意見・ご指摘色々してくださいね。待ってます!
  1. 2005/12/16(金) 11:08:50 |
  2. URL |
  3. KUREHA #-
  4. [ 編集]

「多くの時間を一人の人間としてではなく、労働者として生きてきた人たち。」…??
  1. 2005/12/16(金) 15:17:04 |
  2. URL |
  3. D二郎 #-
  4. [ 編集]

そこね、どう書こうか迷ったの。
社会から見て一人の人間としてじゃなく、一個の労働力として見られてたんじゃないかという意味合いです。
もちろん、おっちゃんたち一人一人は、喧嘩したり、女遊びしたり、酒飲んで語ったり、人間臭い生き方してたと思うんだけど。
うまく言えないけど、そういうことです。
  1. 2005/12/16(金) 21:39:19 |
  2. URL |
  3. KUREHA #-
  4. [ 編集]

 愛隣地区と飛田新地(遊郭。ここは、跡地というよりは、今でもそのままの感じ。)もすっごい近くにあるんだよね。

 絶対にナニか関係があると思うんだけど・・・。
 なんなんだろう?
  1. 2005/12/25(日) 21:20:08 |
  2. URL |
  3. tiharu #-
  4. [ 編集]

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