ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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「提携」の有機野菜を料理して映画を観る会vol.33

残暑お見舞い申し上げます。
毎日暑いですが、みなさん元気にお過ごしでしょうか。

8月の「提携の有機野菜を料理して映画を観る会」のお知らせです。

今回の映画は、「チャイナシンドローム」(1979年・アメリカ)です。

【映画について】
原発の取材中に女性リポーターが偶然、事故の現場に立ち合うが、
そのニュースは上からの圧力によってNGになる。
原発のずさんな管理に気付いた原発管理者、利益優先の経営者、真実を伝えようとするジャーナリスト…。

原発をとりまく構造は、今も昔も変わらないと思い、この映画を選びました。

この映画が公開されてからわずか12日後にアメリカのスリーマイル島で原発事故が起きました。
その結果、映画は大ヒットを記録したそうです。

ちなみに、タイトルを直訳すると「中国症候群」。

もしアメリカの原子力発電所がメルトダウンを起こしたら、
地球を突き抜けて中国まで溶けていってしまうのではないかというジョークだそうです。

しかし、実際にメルトダウンより深刻なメルトスルーまで起こしている福島原発の現実を知ると、
ジョークと笑っていられない心境です。

以下、詳細です。

【日時】
8月31日(水)
18時~夕食作り(17時頃から下準備)
19時半~映画上映
22時 終了・解散(ミラに宿泊もできます)

【場所】
ミラ:練馬区南大泉1-23-9
(最寄り駅:西部池袋線保谷駅・西部新宿線武蔵関駅より共に徒歩15分
/吉祥寺より4番乗り場からのバスで小関降車徒歩10分)

【参加費】
1000円(場所代・野菜代・DVD上映費用)

織座農園からは、エネルギー溢れる夏野菜が届きます!
みんなで食べて、夏の疲れを吹き飛ばしましょう。
ご参加、お待ちしています。

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  1. 2011/08/14(日) 12:00:08|
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  4. | コメント:0

あの日、これから

こんにちは。
massunです。

5日間とれる夏休みのうち、
本日1日目のお休みをいただいています。

金・土・日と、岩手県へ行って来て、
その振り返りのためのお休みにしています。

金曜日の仕事帰りに新幹線に飛び乗り、
紫波中央駅を目指しました。

大学時代、先生・仲間たちと立ちあげた団体と、
紫波町とのお付き合いは今年で8年目。

人工林の間伐作業が追いつかない現状は、日本中の課題。
紫波町も例にもれません。

siwa

今年の森は、ツルのからまる木々が多く、
なかなか手強い相手でした。

主に東京周辺で生活している若者たちの作業は、
間伐“体験”にしか過ぎないと思いますが
(電動のチェーンソーではなく、ノコギリとナタで作業をします)、
それでも8年間、紫波町の森と関わってきました。

2日間ある間伐作業のうち、勝手を言って1日しか参加せず、
ツルの多い暗い森に、最終的にどれくらい光が差し込んだのか、
今回はわからず仕舞です。


紫波町を後にして、
日曜日には、今年3回目の釜石へ。


朝早く、いつも有機野菜を送っている友人が、
釜石駅から3つ手前の駅まで迎えに来てくれました。

彼女たち2世帯で暮らしていた海沿いの家は半壊。
今は、海から離れた山の中の借家で暮らしています。

今回の訪問の目的は、
お送りしている有機野菜について、直接お話しを聞くためでした。

一方的に有機野菜をお送りしていることが、ご迷惑になっていないか、
押しつけになっていないか、とても心配でした。

仕事柄、彼女が野菜を各世帯へ配ることができないので、
彼女のお母さんが、届いた有機野菜を配ってくれています。

今回、そのお母さんにお会いすることができました。

仮設住宅で暮らしている友人・知人に、
できるだけ有機野菜であることを伝えて配ってくれているとのことでした。

高台の仮設住宅からお年寄りが買い物に行くのは容易ではなく、
また、仕事が見つからない人たちは少しでも節約しようとしているので、
野菜は非常に喜ばれているとのことでした。

涙ぐんで、感謝を伝えられました。

野菜の送付にご協力いただいた有機農家さん、
カンパをいただいた方々に、あらためてお礼を申し上げます。

野菜を配ることで、一人暮らしの人を訪問して様子をみるきっかけにもなるそうで、
お母さんから、負担ではないとのお返事をいただいたので、
これからも継続することを約束しました。
しかし負担になったら、いつでも言ってくださいと伝えました。

午後からは、友人の案内で、
釜石市内の仮設住宅を回りました。

仮設住宅の建設が決定したら、各企業が早い者順で、
予算の中でそれぞれやりやすいかたちで建設していくとのことです。

いろんなタイプの仮設住宅があることを、初めて知りました。

某有名建設会社が建てた仮設は、レンガ風の壁面で、
玄関も立派で少しおしゃれでした。

一部、木造の仮設もありましたが、
トタンや鉄筋で出来た私の想像する白一色の仮設がやはり多かったように思います。

断熱材の入った仮設、小さな窓しかない仮設、
入居者には選ぶことはできません。
抽選で当たれば、自動的にその仮設に入ることになります。

100世帯以上が暮らす大きなところから、
10軒~20軒が暮らすような小さなところまで様々でした。

仮設住宅に知り合いの多い友人は、
娘さんの同級生のお母さんとすれ違うとき、

「お父さん、どうだった?」
「うん、○○(地区名)で見つかったみたい。今、DNA鑑定待ち」

という会話をされていました。
最近やっと、そういう会話ができるようになってきたとのことでした。

しかし、今でも家族の死を受け止められない人もいて、
また、お盆が近付いている中で行方不明の家族がいる方ももちろん多いです。

仮設住宅にいられる期間は2年間。

様々な悲しみを抱えながら、狭く、コミュニティ意識の希薄な、
“仮設”の住宅街で暮らす人々の不安な空気を感じた気がしました。

また、
今回初めて海沿いの集落にも連れて行っていただきました。

もともと、東北の「リアス式海岸」に憧れを抱いていて、
いつか訪れてみたいと思っていた私にとって、
リアス式海岸の印象は、一生あの光景になるんだと思います。

海に面して、ギザギザに突き出たそれぞれの半島には、
海と切り立った崖との間にかろうじて人の暮らせる場所を見つけて、
森からの肥沃な養分に頼り、ホタテやワカメの養殖をして来ました。

それぞれの集落は小規模で、
また、その集落につながる道は限られています。

今回、山と海に挟まれた小さな集落に大津波が襲い、
道路が寸断され、陸の孤島になった集落が多かったと聞きます。

友人の両親も、震災から4日目にようやくヘリコプターで救出されたそうです。

釜石市内の商店街は、今回だいぶ片付いていましたが、
小さな集落につながる海岸沿いの道はいまだに壊れ、
修復するための大きな機械を運ぶのも難しいのだと思いますが、
あまり片付いていないように感じました。

町の中の風景と違ったのは、

流された家や、解体された建物の跡地に、
雑草が威勢よく生い茂っていたことです。

山の中の集落は、森に還ろうとしているようにみえました。

震災から半年も経たないうちに、
人が暮らしていたことが風化されそうな夏草の勢いに、
人間の暮らしの儚さを感じました。

二度と、この地には暮らしたくないという人がいる一方、
またこの地に戻って生活したい、それでも海と生きたいという人もいます。

戻りたいという人々の願いから、
海岸線沿いの高台にも仮設住宅が建設されましたが、
空室が目立つといいます。

暮らしているのは、漁師だった人や、老人が多く、
友人の両親も、当初は山の中の借家で一緒に暮らすと決めたそうですが、
特に養殖業をしていた父親の強い希望で、
最近、海の見える仮設住宅に越していったそうです。

町の中の仮設住宅と違い、
もともとあった海岸線沿いのスーパーが津波で流され、
今まで徒歩で買い物に行けた人たちは、
車がなければ買い物に行けず、
移動販売や循環バスはあるとのことですが、
非常に不便な生活をしています。

友人のお母さんは、
この地域の仮設住宅に暮らす人たちに有機野菜を配ってくれているとのことでした。

最後に、

今回、ふたつの意見に遭遇しました。

悲しみから立ち直ることができず、
“あの日”のことを忘れることができない人。

これからのことを考え、
前に進もうとしている人。

どちらの気持ちも大切にしながら、
これからも遠い釜石のことを見守り続けたいと思っています。


  1. 2011/08/08(月) 16:49:01|
  2. まっすんの寝言
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