ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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求めない



今週末、久々にmassunとゆっくり会うことになりました。


茨城に来て1年と5ヶ月が経ち、その間ゆっくりと会う時間が無く過ぎていき、気づくと私がすべてさらけ出しても受けとめてくれる友人との交わりが途絶えていました。


もしかしたらこのヒトノカズダケという場が、唯一私の言いたいことを表現できる場だったのかもしれません。

(と、いってもこの場で書くことには限りがあり、すべてではありませんが。)




人生には、到底解決し得ぬだろうと思われる課題と出会う時が来ます。


それが、他人の出来事だったら、「こうこうこうすれば、解決するよ」と思ったりできるわけですが、

自分自身や、大切な人の出来事になると、

皆目見当がつかなくなり、簡単に道に迷います。


そして、気づくとその自身の中に在る難問を憎み、

自分を憎み、

人を憎むようになっていくような気がします。


そのような状態が、今この目の前にあるとき、

どうして課題との出会いを喜びや感謝に変換できるでしょうか。


それは、とても難しいわけで。


私自身だけの問題なら、できるかもな・・と思ったりもするわけなのですが、


結局はその人自身の問題。


様々な問題解決のあり方を、仕事で多様なメンバーの中で起こる出来事を通して目の当たりにしているにもかかわらず、

難しい。



メンバーのKさんがイライラしていても、私はイライラしないし、

メンバーのFさんが泣いていても、私は泣かないのに、


大切な誰かが、イライラしていたり、泣いていたら、

イライラは移るし、悲しくなって涙がこぼれます。


それだけ、自分を開ける相手だということだとも言えますが、

これが毎日だと、堪えるわけです。



このあいだ、ホ・オポノポノというハワイの伝統的な問題解決方法を知りました。

ホ・オポノポノでは、問題の原因を過去の記憶と捉え、その記憶を特定しないまま、クリーニングしていきます。

クリーニングの方法はその記憶に向かって、

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「許してください」

「愛しています」

と心の中で唱える。

といういたってシンプルで分かりやすい方法です。

とくに気持ちを込める必要もなく、ただ唱えるだけだということ。




「その人に起こる問題は、その人にとって必要なことで、

問題が起こるということは、もうその人がその問題と向き合う準備ができているということ」

というようなことを、茨城に来てからの人間関係の中でよく耳にするのですが、

そういうスタンスで、問題を受容するということ、そして、さらに感謝するということなのかな

と捉えました。



ただ、実践を促すことは、非常に困難に思え、私は実際、手も足も出すことができずにいます。


24時間、寝る時も食べる時も、運転している時も、何をしている時も、その問題にとらわれ、

自身を嫌悪することが、どれだけ辛いことか、私にはわかりません。

そこから抜け出す道のりもわかりません。



ただ、彼が、自分の足でその道のりを歩く傍に寄り添うことしかできないと思っています。




そうか、無理して笑ったり、明るく優しくしようとする必要はないんだ。(しなきゃと思ってただけで、実際できてない)


私は私で、からだやこころが喜ぶようなことをすすんでやることが、彼のエネルギーを浄化することにつながるのかもしれない。



と、書いていて突然浮かびました。


こうやって、問題を自身の成長の糧にしようとする能力は結構あるんですね、私。

「しようとする」だから、発想だけの場合もありますが、

その意識の変容だけでも、60%ぐらいは解決している気がします。
(自分の問題はですが)


意識的に、少しずつ、快くなる道を選んでいければと思います。




最後に、大事な友人に借りた加島祥造さんの本(「求めない」小学館)の一節を。




求めないー

すると

「いま、ここ」のなかにいる

心は先走らず

己のままでいる



求めないー

すると

無限の空が怖くなくなる



求めないー

すると

自由を感じる



その自由から

エナジーが湧く




「求める」から

「求めない」に入ったとき

数々の可能性がひらけるんだー




求めないで

静かにいる

それがこの世に安らぐことだ



簡単なことなんだ






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  1. 2010/08/31(火) 00:42:38|
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心の自然治癒力



今日、親知らずを抜きました。


歯を抜くのは、高校生の時ぶりで2回目。

あのときは、鼻水とよだれでだらだらになりながら、「死んだ方がまし~」と部屋でうめいていて、

末の妹に「あのときのお姉ちゃんは怖かった」と後で言われたほど、正気を失う痛さでした。



あれから10年たらずの間ずっと「歯はもう抜かない」と決めていたのに、

なぜか先日、「抜いてください」と私の口は言っていました。

しかも、初対面の歯医者さんに。


抜いた歯を見て、歯医者さんとビックリ。

まっすぐ生えていると思ったら、根の先の5ミリぐらいが曲がっていました。


歯を抜くことを宣言してから、1週間。

顔の右側面にできものがいくつかできました。

蜂に刺されたか?と思うぐらい大きいものも。

リンパも腫れ、右側全体が腫れてきて、親知らずの最後の抵抗か、

もしくは、抜くと決めたことで、身体が毒素を出してくれてるのかなと思いました。


そういや、今まで身体の右側ばかりケガをしたり、腰痛だったり、できものができたりしていたような・・


歯を抜くことで、身体のバランスも良くなったらいいな~と考えながら、歯医者に向かいました。





最近、自分の中で起こることに少し敏感になってきたように思います。


それは、職場でメンバーの日に日に変化する心模様を見させてもらっていて、そこに沿うことで自分も気づきを得るからというのもあると思うのですが。


去年の夏に人生で初めてセラピー(自分の感情や身体の旅をするカウンセリングのようなものです)
を受けました。


職場でも心理療法の研修に行かせてもらったり、自分でもセミナーに参加させてもらえる機会を得、
意識的に自分の気持ちに向き合うようになってきました。


心理療法や、精神療法、瞑想法、東洋医学の療法・・・

どう括ったらいいかわからないですが、
まだ知らないたくさんの、自身(病も含めた全体)と向き合う方法が考えだされている世界。

私はまだ足を半歩も踏み出せていないかもしれません。


そんな状況で、何を言ってもとも思うのですが、


「絶対に、確実に、人の心や身体を治す方法」

というものは、

無いんじゃないかと思っています。



あえて言うのであれば、

自分自身。

自分自身も、「治す」のではなく、病を経験した心や身体を、ケアし、生かすということしかできないかもしれません。

経験したことは、抹消できないし、決してそれ以前の心や身体には戻らない。

じゃあ、どのように自身の蓄えとして受け入れていくのかということなのでは・・と私は思うのです。


ちなみに、時に起こる「奇跡」というものも、その人自身が引き起こしたことだと私は思います。



「病はから」とか「の持ちよう」という言葉は、ものすごく奥深い言葉なのではないでしょうか。


それは、その人が生まれてきてから、どのような環境や価値観のもとで成長し、

様々な情報や知恵、ストレス、経験をどのように自身の中で消化吸収していったかという

その人の人生においてしてきた蓄積すべてがその「」とか「」だからです。


怒られたり、悔しかったり、悲しくても我慢強く耐えてきた人と、

誰かの胸の中で泣いていた人と、

言葉で表してきた人と、

相談する人がいた人と、

暴れてきた人と、

食べまくってまぎらわした人と・・


その時その時で対処の仕方は、違っていたかもしれないけれど、

自分が辛くなったとき、初めてのことをするとき、何かを学んで嬉しいとき・・

あらゆる出来事を、どんな風に自分の中に降ろし、溜めてきたのかで、

自然にこういうときはこうしたら、気持ちが楽になるという術が誰もに身についているんだと思います。



職場や、近所の方たちとお付き合いさせていただいて、心底思うのが、

55歳以上の女性、60歳以上の男性の「働き者っぷり」。(年は独断です)


たとえば、朝4時頃起きて、畑や牛の世話をして、お昼からは職場でメンバーと農作業をし、翌朝まで当直勤務、
帰ってからも陽が暮れるまで畑をうなう。


この暑さの中で若者は、暑気受けし、食欲減退、頭もぼーっとして、出来れば昼寝しながら無理なく過ごしたい・・・
と、いうことを思っても、まさか言えない、2周り以上年上の人たちがこんなに汗を流して元気でいるのに。


これも1つ、これまでの積み重ねが原因だと思います。

暑さだけのせいにしてはいけない。


彼らは、身体も動きますが、やはり、精神的なたくましさもあります。

どこか弱さを見せない意地のようなものも感じられますが、それも彼らの働きっぷりを支えているところだと思います。


すべてが、生きるため。

家族を生かすため。

なのかもしれない。


みな、農家だったから。


それに必死になってきた経験があったり、周りの大人がそうだったことが活かされているのかもしれません。


最初は、世代の違いかなとも思いましたが、これは生まれ育った文化の違い。


そして、便利になって、ものや情報が溢れて、人間が動かなくても良くなってきている社会に生まれた人たちが増えれば増えるほど、働き者たちは、この日本から減っていきます。

それは、日本人が引き起こした自然の流れ。


でも、働き者じゃない人が、働き者にならなきゃいけないわけではないと私は思っています。


みんなが同じだけ働くことが求められて、そうじゃないと怠け者って言われる社会ではなく、

その人その人の得意なことや、できることが活かされて、それぞれが補い合って、

1人1人が必要な存在として、そこに居ることが許されるような、

そんな社会や職場であればいいのではと思います。



1人1人が、意識的に変わろうとしていけば、変わります。


変わる方法も、ヒトノカズダケ。


私は、そう信じています。




  1. 2010/08/25(水) 17:38:02|
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ことばと伝えること


10代の頃、大人や他者に興味・関心を持っていなかった頃、

あんな人にはなりたくないな・・

自分だったらこうするのに・・

という視点でばかり他者を捉えていた。

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けれど、

自分をそのまま受けとめてくれるかもしれないと思える大人に出会ってからは、

色んな人のそれぞれの姿に関心をもったし、おもしろみを感じた。


そんな自分もおもしろかったし、人も自分も好きになっていった。


さらには、愛おしく想うようにまでなった。


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それから出会っていく人はたいてい、年や性別、出身や学歴なんて関係無しに、

丸ごと、今そこに在る自分をそのまま受け止めてくれる大人だった。


その中で、自身を形成していった私は、


どんな人とでもお互いを尊重し合いながら、

対等に思っていることや考えを伝え合い、

深め合ったりできる文化があたりまえになっていた。


今考えると、そうじゃないものに近づこうとしなかっただけかもしれないけれど。


その、自分の文化やあたりまえを相手に求めることにエネルギーを注ぐことを、

それもまたあたりまえにやっていたのかもしれない。


一旦、立ち止まって、まずは相手の文化やあたりまえを尊重しよう。



そう思い始めたら、それまでぎくしゃくしていた関係が、


ほどけて、ほぐれて、気持ちよくなっていった。



人って不思議だ。


変われるんだね。



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最近、思うこと。


想いと言葉は、イコールじゃなくていいということ。

もう少し詳しく言うと、

想いにしっくりくる言葉と、その想いを伝えるための言葉は違っていいということ。

その想いが、伝えたい人に届くなら。


気持ちだけじゃなくて、どうしたら伝わるのか・・

みんながみんな察してくれるわけじゃない。

伝える力をつけていかなきゃ。





ちょっと話がそれるけど、ことばの奇跡について。



前に、大切な友達から誕生日にカードが送られてきて、


そこには


生まれてきてくれてありがとう


と書いてあった。


そのカードを手にとる度、私は明日も生きる選択をする。


私や私と近い世代は、もしかしたら

生きる喜びを、

いのちの喜びを、

直に感じる経験が、文化的に、社会的に乏しい世界に生まれたかもしれない。


私はたまたま、19歳のときに南インドでその経験をして、初めて自分の生が許されたような気がした。


それは、まさしく、いのちの喜びだった。



私たち人間を構成するものって、きっと複合的で果てしない。



それらを統合できるというのは、


人として生きるということは、


奇跡。



私たちのもつ細胞1つ1つの可能性は、未知。




彼女がくれたことばは、簡単に伝えられるものじゃない。


彼女自身が生まれてきた喜びを感じているからこそ、私に届いた。


ことば以上の彼女の想いがあった。


それも、彼女と私、彼女と私にかかわるすべての人の未知なる奇跡のおかげかな。






ありがとう。


今まで出会った人すべてに感謝します。


そして、これから出会う人みんなにも。




  1. 2010/08/21(土) 22:48:21|
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残暑の折


残暑お見舞い申し上げます。

久々のこの場に、何を書こうかなと。
お盆休み中のmassunです。

7月下旬に、毎年恒例の間伐体験in岩手県紫波町に行ってきました。

森に入り、急に元気になった自分を確認。
自然(環境)と自分が一体であることを、あらためて認識しました。
東京中心の生活では得られない、澄んだ空気、美味しい水。

身体全身が喜んでいることを実感し、
普段からそれを感じていない今の自分に、ちょっと複雑な気分にもなりました。

今年は都合で1日のみの参加だったので、
丸一日、完全燃焼するつもりで作業をしました。

暗い暗い杉の森の木を、地元の方にお借りしたナタとノコギリでひたすら切る。
すると、森に光と風がぱーっと入ってきて、何とも言えない爽やかな気分になります。

今まで光が当たらなかった、森の地面の下に潜む植物の種子や微生物の命が喜んでいるような気がします。
そして、そのことで自分自身もまた自然と嬉しく、楽しくなっていました。

学生時代から、7年目。
2日で30本切ったとして、1人210本。(もう少し切っているかな?)
毎年平均30人参加しているとしたら、210本×30人=6300本。

毎日毎日、林業を仕事としている友人に比べたら少ない本数かもしれませんが、
都会で暮らす若者たちのしたことだと考えると、少しは日本の森に貢献している気がしませんか。

そして、1人1人の意識も確実に変化していきます。

みなさんも、来年はぜひ1本でも間伐をしましょう。

さてさて、間伐の1週間後、つい4日前のことですが、
高校の同窓会がありました。

ありました、というかしました。

高校入学から早10年。

「再会~10年後の文化祭~」というテーマで、
幹事8人で企画をして、なんと100人集まりました。

受付をしていたので、参加者全員と対面することができましたが、
相変わらずのあの顔、この顔。
私も「変わってないね~」と、10回ぐらい言われた気がします…。

でも、100人が集まるとすごいパワーで、
みんな今はそれぞれの生活や環境があると思いますが、
高校当時の混沌とした、しかし自由で明るい空気がそこにありました。

魅力的な人たちに囲まれての3年間。
今の私がいるのは、この人たちがいたからだと心から思いました。

終始笑顔で終えられた同窓会。
幹事冥利に尽きました。

今日はゆっくり、
有機農業の参考書を読みながら、
秋の種蒔き計画を立てる予定です。

夏野菜のナス、ピーマン、トマト、ししとう、オクラなどなど、
それぞれほどほどに順調で、
食卓に上がっています。

立秋を過ぎて、急に秋の空気に変わった気もしますが、
まだまだ暑いですね。
みなさん、夏バテにお気をつけて。

15日のミラの会、参加できる方はぜひミラでお会いしましょう☆

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  1. 2010/08/12(木) 14:52:02|
  2. まっすんの寝言
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提携の有機野菜の料理と映画上映会vol.22



最近、ジャイロキネシスというものを始めました。

KUREHAです。

こんばんは。


ジャイロキネシスは、気功とバレエと水泳と太極拳とヨガの要素を持ったストレッチ方法で、

まだ手応えを掴みきれていないですが、


おもしろい!


と、からだが言っているような気がします。


今日は、今月のミラ会のお知らせを取り急ぎさせてください。


終戦日の8月15日(日)に「『提携』で届く有機野菜を料理して映画を観る会」vol.22

昨年同様、8月は戦争と平和に関する映画を上映します。

今回の上映作品は「夕凪の街 桜の国」(2007年・日本)です。

原爆が世代を超えてもたらす悲劇を静かに見つめる作品です。
原作のこうの史代さんの書いたマンガが素晴らしく(ミラに住むぼんちゃんの推薦)、映画も観たいと思って、今回選びました。

以下、詳細です。

日にち:8月15日(日)
時間:
ミラopen  15時
料理と食事 15時~18時
映画上映  18時~
解散    21時
会費:   1000円(野菜代とミラの利用料)
場所:   ミラ(最寄り駅:西部池袋線保谷駅・西部新宿線武蔵関駅より共に徒歩15分/吉祥寺より4番乗り場からのバスで小関降車徒歩10分)練馬区南大泉1-23-9


長野県の織座農園から届く季節の有機野菜セットの中には、きっとカラフルな夏野菜がたくさん詰まっています。みんなで食べて夏バテを吹き飛ばしましょう。



あまりに暑い日が続くので、上映時間を夜にしました。

しかし、今年はミラにエアコンがついたので、大勢いても快適に映画が観られます。


お盆をゆっくり過ごそうと考えている方もいると思いますが、ミラの夏の夕べも気持ちがいいですよ。



人と会って元気をもらいたいので、飛び入りも歓迎です。




  1. 2010/08/10(火) 21:46:46|
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