ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

じゃがいもの芽


じゃがいもを、台所などにずっと置いておいた経験はありますか?

そのじゃがいもからは、芽がでましたか?


放射線を食品に照射?!
問題を知らせ、「照射食品反対!」の声をあげよう!



ある雑誌の1ページ目をめくると、
上のような見出しが目に飛び込みました。

放射線といえば、
広島、長崎の原爆を思い浮かべます。
それから、原子力発電。

その放射線を当てた食品が、存在します。

それを、「放射線照射食品」(以下、照射食品)といいます。

食品への放射線照射については、食品衛生法で全面的に禁止されていますが、

原子力施設で食品に放射線をあててから流通させている食品が、
世の中には出回っています。

日本では、唯一、じゃがいもの放射線照射が認められています。

理由は、じゃがいもの発芽阻止(芽止め)。

1974年1月、許可を得た北海道士幌農協が照射ジャガイモを販売しました。
これが世界最初の照射食品の商業利用でした。
以後、年間1トン~1.5トン照射され、販売されています。

「じゃがいもは北海道産が美味しい」
と思って買う人がどれほどいるでしょうか。

その北海道産のじゃがいもが、
放射線で汚染されています。

厚生労働省は、安全性をきちんと検査しようとしません。

放射線といえば、
成人よりも子供、子供よりも胎児に影響が大きくでます。
主にがんです。
胎児への影響も、未だにきちんと証明されていません。

アメリカでは、照射されたスパイスと冷凍牛ひき肉が市場に出回っています。
しかし、消費者の反対の声が強く、
ハンバーグ用のひき肉を照射してきた会社は倒産したそうです。

そんな中、日本では照射食品拡大をねらっている人たちがいます。

野菜を含むスパイス94種類への放射線照射を認めるように、厚生労働省にはたらきかけています。

海外からは違法な照射食品が日本に入ってきています。

去年からすでに4件も違反が起きているそうです。

大手企業が米国から輸入した健康食品原料(大豆をつかった商品)、
ドイツの日本企業が輸入したパプリカ、
大分の会社が中国から輸入した乾燥しいたけ、
名古屋の健康食品会社がペルーから輸入したマカ、
への照射が判明しているそうです。

芽が出たじゃがいもは、食べませんか?
芽が出ないじゃがいもを、買いますか?

私は今年、芽が出てしまった有機栽培のじゃがいもをひとつ、
ベランダのプランターに植えました。

プランターの中でちょっと窮屈そうで悪いなと思いましたが、
成長し、青々と葉が茂りました。

できているかわかりませんが、
そろそろ掘ってみようと思います。

1つのじゃがいもが、2つか3つになっていたら、嬉しいなと思います。

スポンサーサイト
  1. 2008/11/26(水) 19:58:25|
  2. まっすんの寝言
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

ねむの木村へ

夜勤明けの昨日、ふと思い立って静岡県掛川市にあるねむの木村に行ってきました。

雲ひとつない青空の下、新富士駅のホームからはすぐ近くに富士山が。


ねむの木村は、掛川駅からバスで20分の山の中にあります。
nemunoki2.jpg

バスの窓の風景は、茶畑と収穫を終えた田んぼが続いていました。
nemunoki5.jpg
nemunoki6.jpg

ねむの木村は、女優の宮城まり子さんが1968年に日本で初めて設立した肢体不自由児のための養護施設を発端とします。

そして、それまでは町の公立学校の分教場としての義務教育をおこなっていたのが、養護教育が義務化された1979年に私立ねむの木養護学校が設立され、「障害をもつすべてのこどもたちの才能を信じて、かくれた能力を引き出すべく、個性の尊重と豊かな人間性を培うことをねらいとした、無学年制の開かれた教育体系を実践」(HPより)しています。


絵画・国語・工芸・音楽・茶道など、感性と感受性を大切にすることで集中力を養う教育をおこなっていて、日本国内でも海外でもとても高い評価を得ていて、ファンもたくさんいます。


ねむの木学園で暮らす子どもたちの生活を豊かにするため、文学館・美術館・喫茶店・毛糸屋さん・がらす屋さん・雑貨屋さんなどができていて、1999年にはねむの木村が開村されました。



以前から、1度訪れてみようと思っていたのですが、山、森、小川、湖のあるとても静かな、澄んだ場所でした。
nemunoki26.jpg

nemunoki17.jpg


nemunoki12.jpg
子ども美術館の外壁には、子どもたちが描いた色んな背の、色んな形の麦穂が。

子どもたちが一つのテーマで絵を描いたのはこれが初めてだったとのこと。


1人1人の麦穂が、しっかりと立って、風になびいているようでした。
nemunoki25.jpg

nemunoki24.jpg



nemunoki21_20081114181729.jpg

私のお気に入りは、この2つ。

nemunoki19.jpgたけうちよしかずさんの「静岡県大井川鉄道」 
前から知っているこの絵を、この目で見れて感激。
二枚のキャンバスをつなげて、秋にぴったりの深い色をたくさん使っていました。
この電車、乗ってみたい!

nemunoki16.jpgほんめとしみつさんの「おねがい」
灰色とピンクのグラデーション。
私の好きなグラデーション。
いつか、部屋に飾りたいな。

nemunoki15.jpg

nemunoki3.jpg

nemunoki4.jpg

美術館を堪能して、木立を歩きながら山を下って辿り着いたのは村の中の喫茶店。
木と木のあいだに立派な蜘蛛の巣が。
nemunoki28.jpg

私は、蜘蛛の巣を見つけると写真を撮るのですが、いつもうまく撮れません。
誰か、撮り方を教えてください。
蜘蛛って格好いいですよね。なんだか気品もあって、いちばん好きな虫です。


湖を眺めて、ゆずジュースを飲みながら、1時間ほど手紙をしたためました。
nemunoki34.jpg

湖には白鳥が二羽。
nemunoki8.jpg
ほとりにいた白鳥、こんなに近くで観たのは初めてでした。


湖の縁を歩いていくと、吉行淳之介文学館に着きました。
茶室がついていて、書斎もそのまま復元されていました。

彼への愛があったからこその、子どもたちへの愛なんだなとその場所に行ってみて強く感じました。


美術館や、その周りの木々、山々、小川や村のたくさんの居場所からは、宮城まり子さんと子どもたち、その輪の中にいるたくさんの人たちの溢れんばかりの愛が伝わってきました。
nemunoki22.jpg

その愛は、抱き、抱かれた人間以外にも感じられる愛で、なんというか、私もそれにおなじように包まれたような気がしました。





  1. 2008/11/14(金) 19:34:53|
  2. 旅の思ひ出
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

月1で映画鑑賞・有機野菜の食事会vol.2


少し間をおきたかったのですが、あと10日後に迫っているということで、次回のヒトノカズダケ新企画の宣伝をさせてください。


今月のテーマは、アール・ブリュット
アウトサイダーアートのほうが分かりやすいでしょうか。

前の記事でも書きましたが、アール・ブリュットとは「加工されていない、生のままの芸術」を意味する概念で、フランスの美術家ジャン・デュビュッフェが60年以上前に提唱したものです。

デュビュッフェは、精神障害者や幻視者をはじめとした正規の美術教育を受けていない人々が内発的な衝動の赴くままに制作・表現した作品を評価し、既成の美術概念に毒されていない表現にこそむしろ真の芸術性が宿っていると主張したとのこと。


企画の詳細は以下のとおりです。

日にち:11月22日(土)
open:18時半
start:19時~ 途中参加・帰宅OK できれば宿泊してください。
映画上映:21時~(予定)
会場:ミラ  
練馬区南大泉1-23-9
西武池袋線保谷駅から徒歩15分(保谷駅に着いたら連絡をくれれば迎えに行きます)
JR中央・総武線吉祥寺駅からバス停4番乗り場より(どのバスでも可)乗車し、小関降車、徒歩10分
参加費:500円+野菜代


芸術の秋にふさわしい、壮大かつ人間の可能性や芸術と創造性がどれだけ人のなかに在る深い泉や沼とつながっているのかを感じることのできる映画だと思います。

上映作品は、「非現実の王国~ヘンリー・ダーガーの謎~」。


親類も友人もなく、雑役夫として働いた病院と教会のミサを行き来するだけの貧しい生活を送った孤高のアウトサイダーアーティスト、ヘンリー・ダーガー
身寄りもないまま1973年にシカゴでひっそりと息を引き取った後、40年間を孤独に暮らしたアパートの部屋から「非現実の王国で」と題した15,000ページを超える小説の原稿と数百枚の挿絵が発見された。孤独の中にたてこもり、妄想を綴り、生涯をかけて描いた作品は、死後、急速に評価を得て、今、もっとも注目を浴びる話題のアーティストでありながら、その生涯はべールに包まれている。(公式HPより)


参加希望の方は、japanesemaple_7@hotmail.comまでご連絡ください。

色んな方の参加をお待ちしています。


みなさん、ぜひ、ひとつ屋根の下でともに一夜を過ごしませんか。
hikako9.jpg

言葉や想いの掘り出し物の宝庫、月に一度のミライベントへおいでください。



  1. 2008/11/12(水) 00:42:50|
  2. イベント
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

銀婚旅行


「我が家はバラバラだぁ~」

父はよく、斜め上のほうを見上げながらそう笑って叫びます。


家族ってほんと不思議で、別々の人間が狭い場所で何年も何年も飽きることなく一緒に暮らしているわけです。

ある意味、奇跡だと思います。


今日は、そんな奇跡の一つ、秋山家の話をしたいと思います。



はじめの父の叫びを聞くと、なんにも考えてないようにみえる父が、実は冷静に4人の女たちを眺めていたのかもしれない、そして、自分の位置をしっかりとわかっていたのかもしれないと思ったりします。


うちの父は、山口県下関市出身で、10歳ぐらい年の離れたお兄さんがいて中卒で集団就職をし、そのまま大阪に住んでいます。
父が小学校1年生の頃、祖父が亡くなり、祖母と19歳のときまで2人暮らしをしていました。

古い大きな柱時計がかかった家で、煮干だしのきいた味噌汁を飲みながら父は育ったんだと思います。
確か、サッカーをやっていて、なかなか上手だったとか。

今では、走ることはもはや、歩くこともままならない感じですが。


19歳のとき、父は上京しました。

はるばる、山口から東京に落語家になるのを夢見て。


物思いのついたころから今までを思い起こしてみても、父がすらすら話をしているところなど観たことがなかったので、この話は未だにあまり信じていません。


上京して、どのくらい奮闘したのかは聞いたことがありませんが、ほどなく父は劇団の演出家の方に拾われて芝居をするようになりました。

その頃、母は、昼は航空会社に勤め、夜は早稲田の第二文学部で演劇を学びながら、劇団でも芝居をしていました。

そう、2人の出会いは劇団。

今でも、劇団仲間とのつながりは続いています。


が、誰もが結婚などするとは夢にも思っていなかった2人の結婚。

出会いから10年余り後の出来事なので、そのあいだの10年、なにがあったかは秘密。


娘の私にも言わないでいてほしい2人のそれぞれの青春時代。



と、2人の馴れ初めの話をしたのも、この秋、2人は結婚25周年の銀婚式を向かえたわけで、そのお祝いに今月初めに家族旅行をし、そのとき想ったことを書いてみようかなぁ・・と思ったからなのでした。

ginkon3.jpg
場所は、京都・大原、滋賀・能登川・近江八幡。

私の行きたい場所をふんだんに盛り込んで、何の相談もなくつくった栞を、父、母、末の妹はとても喜んでくれました。

我が家には私と末の妹、千草のあいだにもう一人の妹、咲良がいます。

彼女は、高校卒業とともに自立し、一旦帰ってきたものの、今は群馬で恋人とそのお母さんと妹と犬一匹と暮らしています。

彼女は彼女で、とても面白いのでまたいつか書きたいと思います。



銀婚旅行と題しましたが、秋山家、実は家族旅行は初めてであります。


そのことに気づいたのが、みんながそろった11月1日夜の旅館で温泉であったまり、浴衣を着て半分布団に入ってからでした。


そうかぁ・・それは企画してよかったなぁとしみじみ。


1日目・・

千草と紅葉は夜行バスで6時に京都着。

地下鉄で20分のところを、距離感覚があまりないらしい紅葉の道案内のもと、2時間鴨川沿いを歩きとおし、京都の天然酵母パンの老舗、パンドラディに到着。

途中、スキップで100Mほど後ろに置いていかれた自転車好きな千草もパンドラディのパンでいつもの笑顔を取り戻し、一安心。

さぁ、1日が始まるぞ!

と、バスで京都駅に舞い戻り、滋賀県瀬田にある滋賀県立近代美術館へ。

アール・ブリュット展を観に、そして「非現実の王国で~ヘンリー・ダーガーの謎~」を観るために。

アール・ブリュットとは「加工されていない、生のままの芸術」を意味する概念で、フランスの美術家ジャン・デュビュッフェが60年以上前に提唱したものです。

デュビュッフェは、精神障害者や幻視者をはじめとした正規の美術教育を受けていない人々が内発的な衝動の赴くままに制作・表現した作品を評価し、既成の美術概念に毒されていない表現にこそむしろ真の芸術性が宿っていると主張したとのこと。

まさに、美術の教科書や、大小の美術館で眺める絵や彫刻とは全く異なった、想像や衝動そのものをかたどったような物体や絵がそこにはありました。


アール・ブリュットのアーティストたちは、アウトサイダーとも呼ばれ、彼らが創った世界はアウトサイダーアートと呼ばれています。


私が、アウトサイダーアートと初めて出会ったのは、大学3年のときにmassunが高校の友人たちと開いた自閉症をもつ人々の芸術展でのことでした。

そして、その後、山谷で出会ったおっちゃんたちの俳句や絵、ダンボールとごみで作ったアートなどにも触れ、ねむの木学園のことも知り、オイデヨハウス風の工房という長野のアトリエにはどうしても行ってみたくて足を運んだりしました。


あぁ、ほんとに触れてほしい。

観て、そのものが表している空気や表現を心にとり込んで、それを創った手、足、目、耳、口、心、身体のいろんな部分や、その一つ一つが成り立たせる表情を想像してほしい。


ほんとにおもしろいんだから。


人間て、なんて自由で、なんて豊かで素晴らしいんだろうと思えるから。



私たちが「非現実の王国で~ヘンリー・ダーガーの謎~」を観始めた頃、父は一人、新幹線で京都に到着。

大阪府吹田市に住んでいる兄を訪ねに行きました。

私「どのくらい連絡とってないの?」

父「ん~2年くらいかな」

私「えーもっと経ってるよ」

父「3,4年くらいかぁ」

と、4年近く音信不通の父のお兄ちゃん。


この旅では会えなかったけれど、いつかまた元気な姿で会えたらいいな。
ginkon4.jpg


宿は、京都・大原、寂光院にほど近い大原山荘という民宿。
ginkon1.jpg

夕食は、4人分の味噌鍋を千草と父と私でおなかいっぱいたいらげました。

温泉に入って、ゆっくり身体をあっため部屋に戻ると、母の声が。暗い山道をどうやってたどり着いたのか、さすが母。
仕事で遅い時間の合流でしたが、寒い中、お迎えで湯冷めする家族を思いやった配慮ナイスでした。


というわけで、ここでやっと4人みんながそろったわけです。

家族旅行なのに、みんなバラバラ。

温泉に行くのもバラバラ。

でも、そんなバラバラマイペースなのが心地よいのです。


2日目・・・

朝8時に朝食を食べ、10時まで大原散策。

寂光院、三千院、宝泉院、勝林院・・とすべてはまわれず、最後は山を駆け下りるなど、父なんてまるでコントではあったけれど、深緑から紅葉へと変わりつつある山々の空気のなか、とてもいい時間を過ごしました。
ginkon2.jpg


そして、能登川図書館

能登川図書館の魅力については、友人の書いたコラムを読んでみてください→論楽社ほっとニュース

ginkon7.jpg
母に時間が足りないぃーーと言わせながら、近江八幡の八幡掘周辺の町屋街にあるギャラリー・ボーダーレスアートミュージアムNO-MAへ。

町屋街に心惹かれながら、家族とははぐれ、たどり着いたのが天籟宮 ten lai kyu。

ginkon6.jpg

ginkon5.jpg

「残すべき物を生かし、無い物をつくる」考えのもと、町屋の有効活用をし、個性と魅力ある街づくりを目指した活動をしているNPO法人エナジーフィールドが運営しているギャラリー+カフェ+コミュニティー。

築200年の町屋の一室に広がる繭のアート。

座敷に存在感があるようでふわっと在る枝々にまとわりついた薄い繭膜が張ったオブジェ。
障子も繭を薄く薄くまだらに紙とも布ともつかぬ、繭の膜が張られていました。

中庭や、入り口には、銅版でかたどられた動物たちが。


この天籟宮の空間がすっかり気に入ってしまって、しばらくここで休もうと思い、電話を借りて千草に電話をかけました。


ずっと滋賀に惹かれていたのだけれど、この旅で一層、滋賀への関心が高まってしまいました。


そろそろ東京から離れてみたいという気持ちに素直になってもいいかもしれないなんて。


さて、銀婚旅行は滋賀県近江八幡の町屋街めぐりでなんとか終わりを迎えました。

ginkon9.jpg


その夜、千草は一人旅へ。


父と母、紅葉は東京へ。



なんと、長い2日間だったことか。


父、母は非日常から現実に戻ってきて混乱し、困惑していたけれど、私も1週間ほど疲れを引きずりました。


家族とは、なんとバラバラで、しかしどこまでいっても家族なんだなぁ。



子どものころは死ぬほど嫌いだった家族を、こんなに愛しく思えるようになったすべての出会いに感謝したいと思います。



長くなったけれど、このあたりで終わろうと思います。



家族のことは、書ききれないぐらい小さいネタがたくさんあるので、またいつか書ければと思います。

が、自分にとってかけがえのないものについて、活字にするというのは難しいわけです。

表現できない些細なことがらによって何とか成り立っているようなものだと、今回気づかされました。

まぁ、期待せずにいてください。





「生きなおすことば」を著した大沢敏郎さん、筑紫哲也さん、数少ないけれど確かにいる憧れの、どうにかこうにか追いつきたい、目指すべき大人の訃報が続いてとても哀しいです。


どうか、どうかみなさん、実り多い秋を過ごし、あたたかな冬を迎えてください。


KUREHAより




  1. 2008/11/11(火) 21:31:39|
  2. 旅の思ひ出
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。