ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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自分の存在感


「自殺ゼロキャンペーン」といって、
「読むと死ぬ気が萎えるメッセージTシャツ」を着て、
今日東京で一緒に歩かない?って、友人に誘われました。

私は、不特定多数の人に対して呼びかけることが苦手で、
きっとやりながら苦しくなると思って断りました。

一人一人と出会って対話しないと、
私は納得が出来ないんだと、最近感じます。

ただ、死にたいと思っている人がいて、
たまたま通りすがりの人が着ていたTシャツに書かれたメッセージを読んで、
「今日もう一日生きてみよう」と思ったり、
一人の人とみっちり喋った結果、「死ぬのやめてみようか」と思ったり、
可能性はそれぞれあると思います。
逆の結果もそれぞれあると思いますが。

今、東京での生活です。

帰ってきて、
「明日はこうしてみよう」とか、
「やっぱり私がいなくちゃね」とか、
そういう感情がなくなることに気付きました。


生きている実感。


例えば、長野で犬の散歩中に、
すんごいおそろしいぐらいの奇妙な夕焼けを見た時の
「うわー」って感覚がここにはない。

例えば、猫たちがけんかをしているのを見て、
「なんとかならないかな・・・」っていう、
自然と困惑して優しい気持ちをもてる対象がいない。(実家に動物がいないからかな・・・)

ここでは、
皆それぞれで、
それで仕方ないってわり切っていて、
自分のかわりはいくらでもいるって思ってしまう。

何かに包みこまれているという感覚がない。

長野で言われた、

「地域に対する丁寧さ」

の重みは感じることがない。

なんだろう。

長野での生活の中にある、

自由の中での心地よい緊張感、
まだまだ足りないと感じる責任感、
自分の存在の実感、
環境との一体感、
自然の包容力を感じた時の安心感、
ちっぽけな自分を実感したときの明日への期待感・・・。

ここだと、
「明日存在することのイミ」
がなかなか見出せない。

変な焦りと、
重圧感はあるけど・・・。

まだまだ、
都会での生活の改善点はいくらでもあると思いますが。

「実感が足りない」

んだと思います。

でも、それを感じ、伝えることの出来るここでの生活も、
今の私には必要な気がしています。

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  1. 2007/09/16(日) 15:07:48|
  2. まっすんの寝言
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