ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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暑中御見舞い申し上げます


やっと空から夏の陽射しが照りつけるようになってきた今日この頃。
いかがお過ごしですか。

私は、先週の水曜に大学のスクーリングが終わり、それから休む間もなく山谷のバイト先で寝泊りしつつ、行きたくてうずうずしていた作品展に行ったり、映画を観たり、会いたかった人たちと会ったりしていたら、あっという間に1週間が経ってしまいました。

昨日なんて、高校野球の観戦に行って下駄焼け、時計焼けする始末。
夏の陽射しは気持ちいい。
できるだけスパイシーなカレーを食べて、インドの人々を想いたくなります。


mussunも告知していたように、夏はイベント盛りだくさん。

今年も山谷夏祭りがあります。
去年・おととしの記事はこちら

例年、山谷にたくさんの新しい風が吹き、参加者それぞれにも新しい出会いや、発見があってとても活気のあるお祭りです。
どうぞ、参加したい!と思う方は、私まで連絡ください(→japanesemaple_7@hotmail.com)

日程 8月18日(土)・19日(日)
時間 8時半頃集合~20時半頃 お祭り自体は16時頃~
場所 玉姫公園(最寄り駅:JR常磐線・東京メトロ日比谷線 南千住駅)
内容 屋台の料理づくりと店番・片付け
   (昨年・・カレーライス800食分・もつ煮・枝豆・カキ氷・ビール etc・・)


うってかわって、レズビアン&ゲイパレードが今年も開催されます。
去年の記事はこちらから。読んでみてくださいな。
L&Gパレードは、8月11日(土)で、メイン会場は代々木公園で、渋谷→原宿の道路を約3000人で歩きます。
ドレスを着たキレイなお兄さん、いや、お姉さんや、おじさんに見えるおばさん(失礼。)、モデル並みのお姉さんや、マッチョなお兄さん、ド派手な衣装を身にまとって歌え、踊れという感じの人もいれば、Tシャツ・短パンで歩く若者やおじさん、おばさんも。

ほんっとに多様な人間たちが、一つの時間と空間を一緒に過ごすことのできるイベントです。

ぜひぜひ一緒に歩きましょう。


ええと、はじめに行きたかった作品展に行ったと書きましたが、ちょっと遠いけどとてもお薦めな障害者アートの作品展です。
OIDEYOハウスという長野県上田にあるアトリエで創作されたそれはもう、心をくすぐる作品と出会うことができます。

埼玉県東大宮にある温々というカフェ&ギャラリーでの作品展。
7月29日までやっています。
温々の食事も野菜や雑穀の混ざったお米などこだわり溢れ、心からほっとできます。

OIDEYOハウスをはじめ、宮城まり子さんのねむの木学園の絵画、奈良県のたんぽぽの家滋賀県のはれたりくもったりのアートなど、私はなんで障害者アートに心惹かれるんだろうと考えてみました。

それは、きっと、創作品のかわいらしさ、素朴さ、素直さ、素晴らしさはもちろんのこと、機械的な作業で賃金を得ることではなく、その人間の中から生まれる表現によって、それぞれのアーティストがその存在を認められ、自分の居場所をつくることができるというもうひとつの生き方をそこに見るからなのだろうなと思います。

今回は、ひとつひとつ想いのこもったイベント紹介なので、興味のあるところだけでもじっくり読んで、一緒に参加したり、興味を抱いてもらえたらと思います。

これは、18日から始まって明日で終わってしまうんですが、難民映画祭がドイツ文化センター、スウェーデン大使館、東京日仏学院の各上映場所で催され、さまざまな映画が上映されています。

去年も行きたかったんですが、余裕がなく、今年も明日「ルワンダの涙」を観に行きたいのでどうにかして行くという感じです。


1994年の民族間の虐殺を映画化した「ルワンダの涙」以外に、
「さすらう者たちの地」(カンボジアの地雷問題ドキュメンタリー)
「戦争の後の美しい夕べ」(ポル・ポト政権下の虐殺で家族を殺された青年の話)
「祖国への手紙」(ルワンダを逃れたジャーナリストの話)
「私の名はベルトルト・ブレヒト」(ナチスドイツを逃れた脚本家とその時代のアメリカを描いたもの)
「乾いた大地に降る雨」(ケニア難民キャンプからアメリカに逃れた家族の話)
「見えない子供たち」(アメリカの大学生がウガンダを訪れ、LRA(神の抵抗軍)に生活を奪われた子供たちと出会う・・)
が、明日の最終日に上映されます。

タイムテーブルはこちらから


最後に、東中野のポレポレ坐で開催するダム映画特集のお知らせ。

7月28日(土)~8月3日(金)
in ポレポレ東中野
<上映作品>
「水没の前に」 2004/中国 
:2009年完成予定の世界最大のダムで沈む町に住む人々を映したドキュメント 
「ふるさと」 1983/日本
:岐阜県徳山村を舞台に樹木希林や加藤嘉などの俳優が離村準備に追われる村人を演じる
「水になった村」 2007/日本
:2008年完成予定の日本最大のダム‘徳山ダム’に水没する徳山村にギリギリまで棲み続けたいと、一度街に出た老人たちが戻って暮らす15年間を撮ったドキュメンタリー

そのほか
「消えゆく故郷」「地熱に挑む~新黒部第3発電所導水路~」「佐久間ダム-総集編」「井川五郎ダム」「御母衣(みほろ)ロックフィルダム」「ホワイトアウト」「モスラ」「タキアン」「ガラダマ」「ザ・ダム」

ダム映画特集をクリックしてくれれば、イベント詳細が見られ、こちらをクリックすれば、「水になった村」の予告が見られます。

おなじくポレポレ坐で5月から上映していた「ひめゆり」(監督:柴田昌平)にCoccoがあてた言葉。
8月4日からアンコール上映でレイトショーが始まるようなので、観にいきたいと思っています。

映画の完成を待たずに3人の証言者が亡くなっている。
ひとつひとつ私たちは失くしていく。
全てを失くす前に叶えたい。
おばぁたち、待っててね、なんにも分かっちゃいない私はせめておばぁたちが好きだった歌をうたおう。
鮮やかに見えるようだ。壕の中の笑い声。
あなたが笑ってくれる歌を届けるからね。
“忘れたいこと”を話してくれてありがとう。
“忘れちゃいけないこと”を話してくれてありがとう。



みなさん、素敵な夏を。


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  1. 2007/07/25(水) 19:29:19|
  2. イベント
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告知と心の関係


こんばんは、massunです。

やっと原発の危険性がトップニュースや新聞の一面になって、
勇気と正義感のある市長さんが決断をしたようで。

全国の原発とともに生活している市町村の長(おさ)たち立ち上がれ~!!
とエールを送りたくなります。
どう考えたって、この地震大国日本に原発が55基もあるのっておかしいです。
安全性なんて、絶対にありません。
人間には自然界のことを予測する力、想定する力なんてありません。
変わりやすい山の天気のもと農業をしているだけでわかります。

3月に大学を卒業した仲間たちが、最近めっきり疲れているというか、
元気のない様子。
現状に納得がいかないようで、
そういう時期でしょうか。
彼ら、彼女らを見ていてなんだかへこんでしまいました。

私も、毎日東京に通って、電車に乗って、人ごみの中歩いて、
日中ずーっと室内にいると、
やりたい仕事でもいまひとつ元気が出ません。

早く長野に帰って、動物たちや田畑や、第二の家族に会いたいです!

が、こちらにいる時はこちらで出来ることをやろうっと。
今日は告知を3つほど。

昨年同様、今年も「夏の有機農業見学会」を日本有機農業研究会・青年部主催で行います。
今年の見学地は神奈川県。
8月11日(土)~12日(日)に、3軒の有機農家さんを訪問します。
夜はキャンプ場で、晴れたらキャンプファイヤーかも??
親子三代続いている有機農家さん、
女性一人(とお父さん)で頑張っている有機農家さん、
見晴らしの良い山の中でブルーベリーつみとり園を経営している男性と、
個性たっぷりの三者三様の農場を2日間かけて見学させていただきます。
興味のある方は、
http://www.joaa.net/の「催し・セミナーのお知らせ」をみていただくか、
私まで直接お問い合わせ下さい。

それと、7月20(金)、18時半~20時半まで、
「みんなの有機農業」という連続講座の第4回目が
東京都文京区男女平等センターで開催されます。
講師は宮沢賢治好きの栃木県の有機農家さんです。
20日は、「土といのちの深い関係(人は土から造られる)」というテーマです。
土は命の根源であり、農業を行う上で最も大切なものです。
実際に土を持って来てくださるなど、講師の方も気合十分な様子ですので、
お時間のある方は是非お越しください。

この連続講座、今のところ続けて私が司会をしています。
下手くそ~な司会にも関わらず、
毎回、農作物の抽選会もやっていて盛り上がっています☆
来年の3月まで毎月第3金曜日に開催していますので、来月以降もよろしくお願いします。
詳細はこちらから→http://www.joaa.net/(「催し・セミナーのお知らせ」)

それとそれと、
「第一回 安房(あわ)平和映画祭」が
8月18日(土)と19日(日)に開催されます。

場所は南総文化ホール(小ホール)。
上映映画は
18日(13時半~):「戦争をしない国日本」「軍隊を捨てた国」
19日(9時10分~):「あんにょん・サヨナラ」「蟻の兵隊」「ゆんたんざ沖縄」
入場料は
大人2000円、高校生1000円、中学生以下無料!(18日・19日両日有効)
です。

千葉県の館山市なので、海に遊びに行きがてら、映画5本観ちゃおう!というのはどうでしょうか?
詳細はこちらから→http://members.goo.ne.jp/home/peaceawa

あいにく私は織座農園期間で、大事なゼミ合宿とかぶっているので行けません・・・。
とても残念です。
映画祭の実行委員長の八木さん夫妻は、有機農業をしています。
昨年はNOwarYESの戦跡ツアーでもお世話になりました。
先日八木さんから、
「国民投票法が成立し、早ければあと3年・・・もう黙っている場合ではないのです。」
という長くて熱いメールをいただきました。
私が尊敬している有機農家さんの一人です。
当日お手伝いも募集しているそうなので、手伝いに行けるよ!という方は連絡ください。

いっきにお知らせをみっつしました。

本当はもっと伝えたい内容があるにはあるのですが、
ちょっと最近パワーが出ません。

気になることが多いけど、
今の自分の心と体の状態と相談してやっていければと思います。
持続可能なことが大事です。

皆さんも、
心と体の健康に気を付けて。

無理はしない、でも無視はしない。

  1. 2007/07/18(水) 23:16:00|
  2. まっすんの寝言
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ひとのかずだけ


お気に入りのブログ名を題名にして、なんだか贅沢な気分ですが、そういう気分です。

おひさしぶりです、massunです。

研修先にはパソコンがないので、ついさっき2週間ぶりに帰って来ていっきに読みました。

ひとのかずだけ、だなぁとあらためて思います。

というか、いのちのかずだけです。

色々な経験・体験を積み重ねても、その人自身にはなれない。
むしろならなくていい、なってはいけないと思う。
だって、一人一人違うから尊くて、
一人一人違うから、自分という人間が初めて活かされる。

農業だって、やっぱり連続性があって、初めてみえてくる。
大学2年間、農業体験はたくさんしたけど、わかったつもりになっていたけど、
みえていなかったなぁ、いいとこ取りだったなぁって、思います。

体験してみる、経験してみる、は少しでも考える材料、想像する材料になるからとても大事なことですが。

でも、自分の人生を生きて、
そして自分という人間そのままで、色々な人に出会って、
その出会いの中で生まれたものが、日々自分に蓄積されていき、
時には立ち止まり、振り返り、前進し、変わっていくもの、残るものがある。

お互いに。

みんなが人に、影響を与えている。
与えられている。

でも、一人一人が違う中で、
自分と同じもの、つながるものを人にみた時、
全く違った経験を積んできた者同士が、わかりあえる瞬間がある。

それは、不思議なことではないのかもしれない。

世界はつながっているから。
そのつながりを想像できる者同士がわかりあって、あらたな力、生きる力にしていく。
それって、素敵だと思う。

だから、みんな違くなきゃ困る。

でも、その中でおんなじがあふれている気もする。
そのおんなじをわかりあえる関係をつくれたら、喜び合える人がいたら幸せ~な気持ちになる。

それと、
今の大人たち(私も大人・・?)の作り出した社会、生き方とは全く違う世界を私たちの世代で見つけられないかな。

しがらみ、先入観、恨み、憎しみから自由になって、
私たちのあたらしい(それはもしかしたら昔あったものかもしれないけど)価値観の中で、生きていくこともできると思う。

こんな暮らしもありますよっ、自由で心地いいですよって、
どんどん提案していけたらな。

  1. 2007/07/11(水) 00:36:04|
  2. まっすんの寝言
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社会を生きることは社会をつくること


明日から、大学で講習があって、しばらく書けないので、連続して書いています。


さっき、商社に就職希望で、インドのストリートチルドレンの子どもが働ける年齢になったら働ける場所をつくりたいと思うと、友達から電話で話がありました。


私は、これまで色んな同世代と出会ってきました。


今でも20~30人ほどで、借りている家に集まってご飯を食べたり、hホームシアターを観賞したり、沖縄に旅行したりなど、仲のいい高校の友人たちには、


企業に就職して親に恩返しをするぞーと燃えている人、

休学して旅をしている人、

ずっと夢だった小学校の先生になった人、

留年して将来に不安と希望を抱えている人、

有機農家になろうとしている人、

救急救命センターで看護師をしている人、

事故で高次脳機能障害になってリハビリ中の人、

悩みながら就職活動をしている人、

有名なホテルで働いてる人、

助産師になろうかなとたくらんでいる人、

服飾のパタンナーになった人、

3浪してやっと入った大学から他大に入るべく勉強している人、

大学院で化学物質の開発研究をしている人、

司法試験の勉強をひたすらしている人、

重度心身障害者の施設で働く人・・・


などなど、色んな人がいて、いまだその人たちとのつながりは、途絶えていません。


大学の友人たちも、少しずつだけど、それぞれ自分の道を歩いていっています。

大学以外で出会った同世代の人たちも、
とても多様な考え方、生き方をしていました。


そんなみんなが大事で、みんなのやりたいことや、やっていることを、認めたいし、敬いたい。

でも、それは、知り合いだからじゃなくて、その人を信じたいと強く思うから。
その人たちが好きだから。


そしてまた、私自身の生き方も、彼らに認められたい。


でも、それって、ただ思ってるだけじゃ、叶わない。

ちゃんと、彼らと直に会って話を聴いて、聴いてもらって、そこからそれぞれがどう思ったかを共有したい。


つまり、彼らと議論をしたい。


否定するという行為で一番簡単なのは、無視をすること。
その存在を、その考えを、その夢を、無しとすること。


ただ彼らを想っているだけじゃ、知らないあいだに気持ちは離れていく。
否定はしない。できない。

だったら、ちゃんと向き合いたい。

同じ時代を生きる人たちなんだから。


多様な生き方の人間が混在している社会で、人を批判し、人から批判されることは、大切だ。
批判するところは、批判して、素敵だなと思ったら、そう言う。

今の私にはわからないと思えば、わからないと言う。

言われたほうは、それをしっかり受け止める。


そういう関係でありたい人がたくさんいるのは、幸せなことです。


そんなことを、彼女からの電話で改めて思ったのでした。


明日から1週間。
新しい大学で、おもしろい出会いがあるといいなぁ。




  1. 2007/07/10(火) 13:54:45|
  2. kurehaの独り言
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汚れることに慣れたくない


平和とか、エコとか、戦争や差別を無くそうとか、世界はそんなにキレイなもんじゃない。

1人が、そう思って、訴えたところで、ジョン・レノンのように世界の民の心をわしづかむことは、とっても難しい。

わしづかまれる側の世界の民が、あの頃とは違う。


少なくとも、日本の若者は無気力だ。

こう生きれば、幸せな暮らしを送れると見本を見せようとする大人たちが、幸せな顔をしていないからだ。
それを本人たちもうすうす気づいているのに、歩いてきた道を決して振り返ろうとしない。
振り返って、悔いや、情けなさをもっと披露してくれればいいのにそうしない。

私たちは、どこに向かって歩けばいいのか、行き着いた先になにがあるのか、何も見えない。



それでも、世界は、真っ暗闇ではない。

汚れ切ってそれ以外の自分を知りえない私利私欲のために生きている人、
汚れることにもはや抵抗なんて感じずに汚れている人、
知らないうちに汚れている人、
汚れていることに気づいてもがいている人、

これらの人間が入り混じっている。

私も、この得体の知れない汚れを拭うのに必死になっている一人だ。


じゃあ、この汚れとは、なんなんだろう。

憎しみや怒りや、恨み、悲しみ、哀しさといった人間の感情か。

はたまた、苦しみ溢れる生と、死か。

それは、誰の感情であり、誰の生と死なんだろう。


でも、もし汚れが誰かの感情や命だとしたら、汚れという表現は、一方的な表現であり、むしろ、罪というべきなのだろう。

でも、その表現はあまりに偽善的でキレイすぎる。

私は、そんなにキレイな人間じゃない。


きっと、拭っても拭っても、一生涯、まとわりついてくるこの汚れ。

蝕まれて麻痺してしまわないように、汚れを感じ、拭うよう努めれば、私は自分の意志で立っていられるだろうか。


そんな危うい自分を支えてくれているのが、汚れそのものなのかもしれない。




  1. 2007/07/09(月) 01:20:39|
  2. kurehaの独り言
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みんな自分ばっかり


今まで、私は、想像しよう、想像がまず世界を変える第一歩と、さんざん言ってきた。
でも、実際は、ただ自分が想像力を欲しているだけなのかもしれない。自分には、想像したくても想像力なんてそもそも無いのかもしれない。
そんなことを、たまに思っている。

その人の気持ちや考えに近づくためには、まず同じ経験をしてみて、自分がどう感じるのかがわからないとなんだか対等に話せる気がしない。

結局、その人の話を聴いて想像しなければならず、想像力の乏しい私には困難を伴う。

そこで、路上生活者の生活を経験するために、最低限の荷物を持って当てのない旅へ出たり、港のベンチで夜を明かしたりした。
そして、1日足らずでへこたれる。
丸坊主でも、多少女性の体型は維持しているので、自意識過剰かもしれないが、やはり夜に路上で寝る場合、「おそわれるかも」と思ったりしてしまう。

そういえば、実際、男の人に強姦されそうになったことが一度だけある。
インドのモスクで、建物の修理をしていたお兄さんに螺旋階段で引きずり倒され、胸をわしづかまれるなどした。
一瞬の出来事だったが、私は以外に冷静で、この人と家族になる女性は優しく扱われずに辛いだろうななどと思ったりしながら、羽交い絞めにされていた。

幸い、応援団で鍛えたにらみでキッと睨んだら、お兄さんは逃げていき、すぐ後、合流した友人に「お・・おそわれそうになった」と言ったら、「よくあることだよ、気をつけなきゃ」と軽めに返されたので、震えていた足はやわらかく静止した。

1週間後に帰国して、鏡を見たら、5本指の黄色いあざがくっきり残っていたので、その頃は使用していた携帯電話で写メを撮ったりした。


それぐらいだろうか。
私に生きづらさをもしかしたら与えているかもしれない経験は。

あとは、大失恋を未だに引きずっていたり、小6のとき盲腸で手術をし、1週間入院したことくらいか。いずれにしても、最初のも含めて些細なことで、私に生きづらさを抱かせてはいない。

気づいてないだけじゃん?
なんて言われそうだけど、そうかもしれないけれど、私には、辛く、苦しい経験よりも、楽しく、おもしろく、素敵な経験のほうが、それ以上にあって、それらは、決して生き易さを感じさせるわけではないけれど、生きててよかったな程度には思えることたちだ。


私の22年8ヶ月の経験なんてそんなもので、
認知症のAさんが暮らしている寮のベッドでどんな思いで毎日夜を過ごしているか、
うつ病の友人が大学に通いながら何を想っているか、
事故で言葉と記憶に障害を負った友人がどんなことを感じながらうまく出てこない言葉をだそうとしているか、
統合失調症のNさんが眠れないから本当は飲みたくないけれど睡眠薬を追加してくれと言ってくるときの気持ちがどんななのか、
はたまた、北朝鮮で暮らす人々がどんな思いで日々を生きているのか、
わたしにはちっともわからない。


そこで、市販の睡眠薬を買ってまず飲んでみようか とか、
視覚障害をもつ人の暮らしを感じたいから目をつぶって2,3日生活してみようかとか、
朝鮮語を勉強して北朝鮮に実際に行ってみようかとか、
色んな考えが頭をよぎる。

まぁ、それは乱暴な想像で、実行したら、考えていること、感じていることが「わかる」といったら、そうじゃない。

ただ、やはりこう思うのだ。

今、誰かが何かに生きづらさを感じているのだとして、
その生きづらさゆえに、人や自身を傷つけたりしたとき、
傷ついた人の悲しみは、傷つけた行為そのものから来るのではなく、
傷つけた人の苦しみ・生きづらさゆえだと思う。

じゃあ、その苦しみは、生きづらさは、何故なのだろう。

それを、
傷つけた人も、
傷つけられた人も、
それぞれの家族も、
傍観しているあなたも私も、
何も知らないことになっているあなたも私も、

考えるべきだ。

自分だけが、ラッキーにも生きづらさを感じずに生きているとしても、自分と交わっている、またはこれから交わるだろう他者が生きづらければ、いつかは自分も苦しくなる。

それが、社会で生きることだと私は思う。


友人に勧められて、「ブラックジャックによろしく」9~13巻・精神科編を読んだ。精神科病院で、主人公が研修をし、主に統合失調症の患者と出会う。

私は今まで統合失調症をもつ地域のグループホームや寮で暮らす人々と出会ってきた。
が、専門家でも、経験のある支援員でもない私は、彼らの苦しみや生きざまを目の当たりにしてきたわけではなく、平凡な会話の話し相手であったり、楽しい時間を共有する一学生であった。
もちろん、その役目に意味が無いわけではないけれど、生活を支える上で、何もできない無力感は感じた。
しかし、それと共に、彼らのことをもっと知りたいと強く思った。
知っても知っても、知りきれないし、「わかる」ことは、ないと思うけれど、それでも彼らのことを知りたい気持ちが湧いてくる。

「ブラックジャックによろしく」は漫画なので、患者の幻聴や幻覚が、絵や文字でビビッドに表現され、鮮明にイメージとして伝わりやすい。
実際が、その絵や台詞どおりでなくても、想像の助けにはなるかもしれない。
少なくとも、私はそこで描かれたものによって初めて当事者側の視点に立てた気がする。

人は、他者の存在によってのみ、生み出すことのできる力や、感性があると私は思っている。

だから、他者と交わることを欲するし、他者が在って初めて自分の存在が在るのも確かだ。

想像することは、大切だ。
それをやめてしまわないことは、もっと大切。

そして、そこから一歩進んで、「出会う」ことを追求していきたい。

出会うとは「知り合う」とは違う。

目と目を合わせて、または、手と手をとるなど肌を合わせて、
お互いの存在を意識し、お互いが何を感じ、どう生きているのか、
一瞬でも交わらせ、共有できたとき、そこにやっと出会いが生まれる。

いつも通学・通勤で一緒の電車に乗る背広姿の疲れた顔のおやじが、
車椅子に乗って駅のエレベーターを探しているおばあちゃんが、
白い杖をついて点字ブロックを歩いているお姉さんが、
電車の前に座ったベビーカーの赤ちゃんのおしゃべりを無視し続ける母親が、
駅の柱にもたれかかって意識が無いのかあるのかわからない異臭のするおじさんが、

何を考えているか、考えたことはありますか?


想像し、まず出会ってみる。
そうすると、生きてるのが、日々が、おもしろくなってきます。

少なくとも、今よりは。


  1. 2007/07/06(金) 01:29:04|
  2. kurehaの独り言
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あたりまえ


京都の岩倉川で、初めて蛍を見た。

蛍ってほんとにいたんだ・・・


岩倉では、明治時代から精神の病を抱えた人たちが、支えあいながら地域で生きてきた歴史がある。

公園には、滑り台をすべる子どもたちとベンチに座ってただただボーっとしている大人たちがあたりまえにいる。

道すがら、散歩や昼寝中の彼らの横を通るとき、なんだかやさしい気持ちになった。

彼らが、村のどこかしこにいることが、岩倉のあたりまえ。

そのあたりまえが、日本中に、世界中に広まればいいのに。




最近、体が観念を受け入れない。

理屈や誰かの理論よりも、その根元の力強さ、五感の敏感さに心動かされる。

自分自身にもそういう部分を求め、日々を暮らしている気がする。


だから、ここに何かを書こうと思っても、以前のように力が入らない。

前から言っていることがわかりにくく、伝わりづらい文章であったと思うが、これからはより一層そうなるんじゃないかと今のうちに断っておく。



このあいだ、誰かが新聞で

「『異物』のない世界などまっぴらごめんだ。混沌や矛盾を受け入れてこそ、人は人らしく生きられるのだ」

と書いていた。


この世界は、
目が見えて、
言葉の読み書きやおしゃべりができ、
‘コミュニケーション'と呼ばれるものが成長と共にできて、
足があって歩くことができ、
苦しみもだえたことのないだろう人間中心につくられ、考えられ、捉えられている。

社会的排除・差別という概念さえも誰かのつくり出したものだということに気づかないまま、私は排除・差別「している」側の人間のくせに、排除・差別「されている」人間がどうのと平気な顔をして言っていた。


彼らの世界は、別にある。

その別の世界を、それぞれの文化や生き方を貫くことを尊重するには、私自身がまず、自分の生をしっかりと尊いものだと受けとめなくちゃいけない。


だけど、それが難しい。


私一人が生きるのに、どれだけの人や生きものの命を、焼き、つぶし、踏みにじり、奪うのか。

私の世界や、文化、生活は、ほんとうに尊いのだろうか。



日々の、勉学や政治・社会の動き、友人たちとの人間関係の中で、一瞬一瞬、そんなことを考えながら生きるのはつらい。


けれど、考えずに生きることは、考えられない。


考えずに生きることで、私は、インドやバングラディシュ、日本で出会ったさまざまな人間たちとの出会いを忘れてしまう。


それだけは、嫌だ。



生きさせられているのではなく、

生きて、生かされていると感じられるよう、

生きよう。

  1. 2007/07/03(火) 23:13:51|
  2. kurehaの独り言
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