ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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息ができるということ


こう毎日、自殺されちゃ、命ってなんなんだ?と考えざるをえない。


ドラマや、映画、本、芝居、ヒットするのは、死を悼み、胸のなんともいえない切なさと哀愁を誘って涙を流させる類のものばかりだ。


そんなに、死ぬことが哀しいならば、もっと生きることを楽しめばいいのに。


こんなシンプルな想いが、日々、私を救ってくれる。




4月から、あまり誰とも連絡を取らず、急に家中の窓を閉めたかのように、私の身体と心は風通しが悪くなった。
そんな気がしていた。


息苦しくて、何度も窓の鍵をまわそうとするが、そんなわけにはいかない。
たまにはいいけど、開けっ放しにしたら、それこそ、私は青空にダイブする。


それもいい。


そうなればいいとさえ思う。


だけど、まだ、今居る場所で思いっきり生きてないのに逃げ出すわけにはどうしてもいかない。

どうしても。




でも、きっと、ここで踏ん張ることができるのは、

「死ぬことを哀しむよりも、生きることを楽しむ」

を実践するための一歩一歩を、自らの意思と脚で歩いているという確信があるからだ。

まだ「実感」ではないことが、悔しいけれど、まぁ、いずれ身体で感じるんだろう。

少なくとも、それまで無茶なダイブはやめておこう。



私が出会ってきたたくさんの大切な人たちも、そんな一歩を今日もまた歩んでいると信じて、自分を奮い立たせていこうと思う。



絶望しても、失望しても、不安でいっぱいでも、生きてるだけでいい。


生きてるだけでいいんだよ。



大きく深呼吸をして、
息ができるということに喜びを感じよう。


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  1. 2007/05/30(水) 16:32:09|
  2. kurehaの独り言
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消費と政治


長野から帰ってきて、高校の同級生と食事をしました。

久しぶりに会って話して、気持ちが通じるところが多くて、
とても気持ちの良いひと時でした。(どうもありがとう☆)

その友達は、
「色々と大事なことはあるし、出来ることがあるけど、
『消費と政治』。このふたつだと思う。」
と話してくれて(微妙に違ったらごめん!)、その言葉につくづく納得。

消費者が変われば、企業が変わり、社会が変わる。
国民が政治に参加すれば、政治が変わり、日本が変わり、世界が変わる。

なんて単純で、なんて簡単なこと。

問題だらけの世の中で、
自分に何が出来るだろうって悶々と考えて、日々過ごす。

その中で、自分が毎日している消費と、定期的にやってくる選挙が、
どれだけ自分が日々悩み、考えている問題と密接につながっているか、それ程意識していないかもしれない。

「消費と政治」

簡単なことかもしれないけど、
とても大切で、すごい力を持っていて、そして責任の大きいことであることも、同時に自覚しなければならない。
(そして、消費と政治参加が容易ではない人たちのことも同時に考えなければならない。)

「農業」という分野に関わって、消費の大切さは身にしみて感じていますが、

今日は、政治の話をひとつ。

2007年5月14日、国民投票法が成立しました。

早ければ2011年には憲法改正の国民投票が行われるといわれています。

国民投票法が施行されるのは3年後。
それまでに憲法についての議論を深めましょうという政府。

議論というのは、色々な意見があるから意味のあるものです。
最初からひとつの意見しか通らないと決まっているものを、議論とは呼べません。
今の国会は、圧倒的な多数派によって、少数派の意見が全く聞こえてきません。

こんな国会にしたのは、もとはと言えば私達国民の責任なのですが、
責任があるということは、嬉しいことです。

変える力もある、ということですから。

その、変える力を発揮出来るのが、7月の参議院議員通常選挙。
参院選です。

参議院議員の選挙には、
各都道府県の区域を単位として行われる選挙(選挙区選挙)と、
全国を単位として行われる選挙(比例代表選挙)とがあります。
参議院には解散がないので、任期満了(6年)により選挙が行われますが、
3年ごとに半数が入れ替わるよう憲法で定められているので、
3年に1回、定員の半数を選ぶための選挙が行われます。

今回は比例代表選挙なので、全国全てが選挙区です。
7月5日公示、7月22日投開票。
投票用紙には、「政党名」か「候補者名」のいずれを書いても良いことになっています。

「任期満了6年」・・・ということは、今回の参院選は、
憲法問題に関わるとても大事な時期の国会を左右する選挙です。

日本国憲法の三大原則の一つは、
国民主権(主権在民)であることを覚えていますか?

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
 これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する(日本国憲法前文より)

ということで、7月の参院選に大注目。
そして、毎日の消費について、真剣に考える。

このふたつは今から出来ること。
そしてとても大切なことだと、あらためて思いました。

  1. 2007/05/17(木) 22:28:50|
  2. まっすんの寝言
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タブーにこそ

スペシャルオリンピックスというものを知っていますか?

パラリンピックではありません。
パラリンピックはオリンピックの後に行われる身体障害をもつ人たちのスポーツ競技大会。
これは、テレビでも取り上げられてるから、だいぶ知られている。

スペシャルオリンピックスというのは、知的障害をもつ人たちのスポーツ競技大会(をサポートしている国際組織)のこと。

スペシャルオリンピック「ス」という風に複数形で表されているのは、大会に限らず、日常のスポーツトレーニングから世界大会まで、あらゆる活動が年間を通じて、世界中でおこなわれていることを意味している。

からだの障害がある人のオリンピックがあるなら、知的障害がある人たちのオリンピックがあるのも自然なんじゃないかと思う人もいるでしょう。
それでもやっぱり、知的障害は一人一人、障害のあり方が異なっていて、スポーツで順位を競うということは難しいんじゃないかと思う人もいるでしょう。


スペシャルオリンピックスの目的は、
①さまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、
②参加したアスリートが健康を増進し、
③勇気をふるい、
④喜びを感じ、
⑤家族や他のアスリートそして地域の人々と、才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供すること。


そんな希望溢れたスペシャルオリンピックスに、障害をもっていると装って大金を稼ぐために出場する男が主人公の映画。

リンガー!替え玉☆選手権

邦画タイトルはB級だけど、中身は思った以上に親しみやすく、観た後には爽快感で胸がいっぱいになった。

不謹慎だと思いますか?

実際に観てみたら、モラルもなにもなく、笑ってしまうと思います。


舞台は、アメリカ。
友人の大怪我を治すお金を得るために、叔父にすすめられてスペシャルオリンピックスに出る主人公。
「レインマン」や「フォレストガンプ」、「アイ・アム・サム」を観て研究をし、知的障害者ジェフィー・ダミーという人格に成りすまし、大会に出場するも、選手村で他の選手たちにあっけなく嘘つきだ!と見破られてしまう。
他の選手たちは、みんな実際に障害をもつ人たちが、それぞれの個性をそのまま出して出演している。
6人の選手たちは、CMやテレビに引っ張りだこで、いつも優勝しているいけ好かないジミーを負かすため、主人公を特訓し、決勝の日を迎える・・。


知的障害をもつ友人たちと一緒に笑いながら観たくなる映画だ。

ぜひともご覧あれ。
シアターN渋谷
~5/18(金)
11:00/19:00
他、中川コロナワールド(愛知)、ユナイテッドシネマキャナルシティ13(福岡)にて上映


最近、障害者専用のデリヘル嬢をしていた人の本を読んだ。
前々から気になっていた障害者の性。

福祉なんて、心も身体も清らかなイメージ(最近は老人介護など大変さもたくさん見えてきたけど)なんて思ってたら、とんでもない。
実際は、きれいごとなんて1%も通用しないかもしれない。

障害に限らず、タブーとされていることにこそ、日常の思い悩み、葛藤、欲、情などの人間臭さが凝縮されている。

生きるために罪を犯し続け、居場所のない社会から刑務所での暮らしに安堵を覚える知的障害者たちのことを書いた「累犯障害者」(山本譲司 新潮社)という本も買った。

きれいごとだけじゃ済まない彼らの世界。
それは、イコール私たちの世界でもある。

障害をもつ者にも、もたない者にも、様々な人がいて、分け隔てて考える必要はないとも思う。

でも、障害が毎日の生活と密接にあるからこそ、それを見つめることから逃れられない人生。
障害を通して、アイデンティティを獲得することを、強い圧力で課せられる。
それから逃れるのにもまた、とてつもないエネルギーが必要で、その力はその人間自体を荒廃させてしまうおそれがある。

彼らの苦しみは、彼らの苦しみでしかなく、
私の苦しみは、私の苦しみでしかない。

けれど、お互いの存在を許し合うことができれば、その苦しみは和らいでいく。

この世界で彼らと共に生きていることを知ろう。

その上で、自分を見つめなおしてみる。



同じ大地で、同じ空気の中で、存在しているすべての愛しい人間たち、対話をしようよ。

komorebi2.jpg



  1. 2007/05/14(月) 11:38:55|
  2. イベント
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ただいま

20070507143646.jpg


ただいまです。

2週間農業して参りました。
農業だけではなく・・・、
織座農園は人が集う場所なので、GWということもあり、この2週間でたくさんの人に会いました。
20人以上宿泊した日もあったりで、すごかったです。

毎朝、太陽と一緒に起きる生活とはこのことか、と実感。
私の寝ている東側のお部屋にはカーテンがなく、
朝5時半にはピッカーンとお日様の光が射して、もう寝かせてくれません。
お日様が照った日は、大急ぎでハウスを開けます。
じゃないとこの時期、ハウスの中がいっきに暑くなって、まだまだ小さい野菜の苗たちがダメになってしまうのです。

という、かなりピリピリした緊張感のある時期です。
20070507154855.jpg
(ナス、トマト、ピーマンの苗)



でも雨や曇りの日は、いつもよりちょっぴり遅く、のそのそ起きても大丈夫というサービスデー。

「人間にはどうにも出来ないから、地球のご都合に合わせて暮らす。」
そういうことを、やっと具体的な体験を通して実感することが出来てきました。


お日様と共に起き、日が沈むまで働いて、夜は日中の労働でくたくたな身体を休める。
街灯のない真っ暗な夜は、わざわざ外に出ることはなく、たまたま外に出た時に星の美しさ、月の明るさに驚く。


食事は3食、きちんと作って食べる。
食材は目の前の畑でとって来る。
この季節は、フキ、ツクシ、ウドなどの山菜も貴重な食料。

ご飯を食べないと、農作業の途中で本当に力が出なくなってしまう。
それぐらいお腹が空く。

休憩時間にはお茶を飲みながら、皆で様々な問題について語り合う。


体力もついていないので、毎日くたくただけど、なぜか笑顔があります。
疲労で夕方頃には手足があがらない、足腰が痛いなどあるけど、
翌日の農作業を楽しみにしながら最後にハウスを閉める。

そんな2週間を過ごしました。

  1. 2007/05/09(水) 00:06:14|
  2. まっすんの寝言
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憲法は空気


TVや新聞といった、何もしなくてもざぶざぶと私たちの目や耳や頭に情報を流し込んでくるメディアの中で、今まで憤慨するほど議論されてこなかった憲法のことが、ようやく表舞台で議論されるようになった。

多くの日本人の生活の一部となっているTVや新聞で注目されていることに、日本人が影響されないわけがない。もうこれ以上、無関心のふりはできないはずだ。


3年間通ったインド第二の大河沿いで暮らす300を超す村々の先住民たちと、その文化や暮らしを守ろうとする人々が大きなダムの底へ、彼らと共に在る大地と一緒に沈んでしまおうとしている。

彼らの問題を自分たちでどうにかしようと現地で戦うのではなく、私たちは私たちの問題に向き合おう、日本で暮らす人々(自分を含め)に向き合おう、そう思って、今、私は山谷に通っている。

そして、今、私が日本にいる大きな理由に、改憲への政策がここ数年でどんどん進められているということに危機感を抱いているからということがある。


だけど、私はなにもしていない。
なにもできない。

新しい勉強に追われ、自分が何を糧に生きていこうかと考えることに没頭するあまり、今、私がここにいる意味を、大学生活でどれだけ大人に憤慨したかを、忘れかけている。


たくさんの、本当に多様な問題が混在し、見えにくい状態にあるこの国で、1番おっきな大切な決めごとを、地球で言えば「空の色」を変えたところで、この国には陰や陰の下で暮らす人々が増えるだけだろう。

小さなこと一つ一つを現憲法の下でできる限りよくしていくこと、これすらできない国民一人一人に、憲法改正の最終決定権があること自体、無責任だし、情けない。

私は、全国統一地方選挙の投票所で12時間、立会人をした。

投票率47%中、私が立ち会った有権者のなかで「区長選もあったの・・??」という顔で首をかしげながら、ど・れ・に・し・よ・う・か・な?で決めているような人が何十人もいた。

おいおい。

これには、立会い責任者の区の管理職も苦笑い。

そうかと思えば、目や手足が不自由な方たちもたくさん投票しに来ていた。

前者と後者の一票の重さは同じ。

機械的に入れられていくように見えるどこかの宗教団体がすっぽり入る例の党の一票一票も。


もう少しだけでいいから、考えて投票すればいいのに。

私自身ももう一歩、踏み出したい。
そう思うことのできる12時間だった。

将来、出会うかもしれない、もしくは、友人たちの産んだ子どもたち、そして今まだ投票権を持たない0~19歳の今を生きるみんなへ恥じないよう、一票をしっかりにぎりしめて、自分の描く理想の、―理想でいいじゃん―生きててよかったと思える社会へ近づくためには、誰へ一票をたくせばいいのか。

そんなことを、ちょっと考えるだけで、あっけなく終わる投票が、ワクワクしたものに変わるかもしれない。

社会は、人間が築くもの。
社会で生きるためにどういう自分になるかじゃなくて、自分が生きていたい社会とはどうしたらつくれるのかということを考えてみる。


実際、「私の人生はこれからだ!」なんて言って大学を卒業したけれど、不安で胸がいっぱいになることも多い。
明るい未来も、希望ある将来も描くことが難しい。

それでも、ささやかな幸せは産み出していけるんじゃないかと、自分を、周りのこれからも共に生きていく大切な人たちを、信じてみる。

すると、毎日にポッと灯りがともる気がする。ちっちゃな勇気が湧く。


憲法改正の国民投票までの間、憲法の中身が3年ほどかけて審議される。
これなら国民も納得させられるし、自民党員・政党員として大儀を果たし、立派に歴史に名を残せると今の首相や官僚、有識者と呼ばれる人々が思うまで審議される。

3年もの間、政治家生命(=人生らしい)をかけて精査した憲法改正原案を、国民なぞのために無駄にするはずはない。
彼らは、本気だ。

憲法第9章・第96条に基づいた国民投票。
しかし、投票される一票一票に意味を重く、真剣に持たせるのは、他でもない私たち一人一人だ。


もし、それができても、油断はできない。
投票で反対が過半数を超えたところで、「解釈改憲」や「実質改憲」の道もありうる。

今なら、変えられるかもと、改憲派に思わせる隙をつくったのは、それ以外のすべての人だ。
無関心の人も、護憲の人も、迷っている人もすべて。

環境問題などの新しい条項を加えることや、自衛隊の存在と憲法との矛盾を打開すること、国際貢献を積極的にできるようにする、アメリカとの関係・・などを焦点に改正すべきだと考える人も多いと思う。

私だって頑なに反対しているわけではない。
悩みもせず、ただ、反対! ただ、賛成! と言うことなんて簡単だ。
わからないと言うこと以上に。

右派、左派、保守、革新・・そんなもの関係ない。

組織や、考え方の枠に入り込んだが最後、自分で考えることがぼやけていく。
自分や周りの人たちの暮らしとつなげて考えることにうとくなる。

要は、私が、あなたがどう生きたいか、今、生きることに幸せや、尊さを感じているのか だ。


憲法は、私たちの暮らしとつながりがうすいようで、あたり前にある空気のようなものだと思う。

空気に問題が生じたとき、空気清浄機で自分の部屋だけきれいにするのではなく、山に木を植え、輸送で石油を使うことのないよう地元の野菜や米を食べ、ごみをなるべく出さない消費生活を心がければ、自分の部屋の空気はもちろん、大切な人たちや、未来に生きるすべての生きものにあたりまえに呼吸のできる空気を引き継いでいける。

憲法も地球環境と同じように、一人一人の意識が向かなければ、よくはならない。


追伸

アメリカやラトビアにいる友人たち、外国に友人がいるみんなへ

この地球上に、軍隊のない国は27カ国。

その中で、憲法で戦力不保持と交戦権否認を規定している国はまだ少ない。

そんな貴重な日本の9条、紹介してみてくださいな。

The Constitution
Chapter Ⅱ
Renunciation of war
Article 9

Aspring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintined. The right of belligerency of the state will not be recognized.

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  1. 2007/05/05(土) 11:59:40|
  2. kurehaの独り言
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