ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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自分のこと

TS290611[1].jpg
:芦ノ湖(箱根)

こんにちは。massunです。

最近、自分のことばっかり考えていて、
そろそろ嫌になりました。
自分のことだけ考えていると、なんだかつまらないのです。
何かとつながっている感覚を持てないって、
やっぱりつまらないのですね。

自分のことだけ考えながらも、
京都に行ったり、織座農園(長野)に行ったり、逗子に行ったり、
昨日は急遽箱根に行ったりしました。

でも最近は「自分」を、何時でも、どこでも、肌身離さず、ポケットに忍ばせるように持って行っていました。

そうすると、人は自由になれないんだとわかりました。
がちがちに固まって、動けない。

自分に囚われていたら、楽しくない。

ということに気付きました。

だから、やっぱり一人でいる時以外は、自意識を出来るだけ解放してあげたいなって思いました。
考えたいことはあるけど、出来るだけ、そうしていきたいです。

自分から自分を切り離すということは、
自分の意見を言わないとか、自分の経験を語らないとか、
そういうことじゃありません。

どういうことかは・・・すみません、私の感覚です。

他の人だったらどういう風に言うんだろう。
わかんないので、私の言葉で勘弁してください。
幽体離脱とは違いますよ(笑)。


さて、織座農園に、NOwarYESで合宿に行ってきました。
平和・戦争・憲法9条の勉強会です。
今年で2回目。
何でも続くことって、嬉しいですね。

織座農園の窪川さん(織座母)には、今年もたくさんお世話になりました。
1ヶ月前から、色々準備に気を遣ってくれて、
何度も電話して、ああしよう、こうしようって、
すごく楽しみにしてくれて・・・、
本当にありがとう。

それなのに、こちらの手際が悪くて前日までタイムスケジュールが決まりませんでした。
前日にやっとkurehaともやりたいことがまとまって(まとまってなかったかな?笑)、
当日は遅刻者ゼロ、欠席者1名(インフルエンザ・・・)、追加参加者2名、
計8名+織座の研修生のゆっこちゃんと、織座母で、今年の合宿はスタートしました。

参加者の中に製麺屋の息子と娘がいたので(兄弟参加!)、
冬には食料の減る織座農園に、うどんを送っていただきました。
着いてすぐの昼食は、釜揚げうどん。
しいたけをたっぷり使っためんつゆに、こしのあるうどん、薬味のしょうがとネギ(もちろん有機栽培)が、本当に美味しかった。

その後は、さぁ早速、勉強勉強!となるつもりが、
近所の佐々木さんの家の薪ストーブ用の薪運びを手伝うことが、
前日に決まってしまっていたのです(苦笑)。
着いていきなり体力をつかいました。
佐々木さんの住むログハウスは、階段をかなり登ったところにあるので、薪運びリレーで頑張った男の子たちは汗びっしょりでした(お疲れ様でした)。

その後、佐々木さんの家でコーヒーを飲み、薪ストーブにあたりながら、
先日NHKのETV特集でやった「焼け跡から生まれた憲法草案」
の録画ビデオを見ました。
日本国憲法はアメリカ人が作った、という話を信じている人が大半だと思うけど(もちろんそうとも言えなくはないのですが)、
今の日本国憲法ができるまでに、その内容に影響を与えた7名の日本人がいます。
これを知ったら、今の憲法は日本人がきちんと関わっていると言えるようになります。
すごく、感動しました。

ビデオを見た後、17時になる前に、すぐに織座農園に帰って、
夕食準備をしました。
19時にはコンサートがスタートするからです。
このコンサートは、kurehaが熱望して実現しました。
織座農園に関わりのある夫婦が、アコースティックギターと、素朴な打楽器をつかって歌を歌うのですが、その夫婦の歌が最高なんです。
初めて聞いたのは昨年の「アースディ佐久」。
その時からkurehaはもう一度その夫婦の歌を聞きたいと言っていて、
今回それが実現しました。

私とその場にいた何人かは、去年の織座農園の収穫祭の時にも聞いていたのですが、やっぱり本当に素敵。
今回は、キャンドルコンサート。
電気を消して、ロウソクの明かりだけの中でのコンサート。
収穫祭の時も、今回も、本当に涙がポロポロ出てきて、
皆の涙にもつられてまた泣いてって、ちょっと困るぐらい泣きました。
本当に、素敵な歌を歌うご夫婦です。

コンサートの後は、夕食。
織座の野菜をつかったおでんと、昼食に使っためんつゆとごぼうと人参で炊いた炊き込みご飯と、織座の初代の研修生が今回のために送ってくれた豚肉と、織座のルッコラなどなど。
幸せすぎる食卓でした。

その後、kurehaが先日書いてくれたみんなの言葉をそれぞれ朗読しました。

さて、長くなったので今日はここまで。
二日目の報告はまた後日。

読んでくれてありがとうございました。
行きたかったな~と思ったでしょ?うふふふふ。
それでは。


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  1. 2007/02/26(月) 16:35:32|
  2. まっすんの寝言
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みんなのことば【加筆ver.】


今日は、NO war YES合宿in織座農園をするにあたって、募った「みんなのことば」をいくつか紹介したいと思います。(詳細はこちらで)

「歩いて道をつくる」 里見実

「さよならCOLOR」 ハナレグミ 
そこから旅立つことは とても力がいるよ
波風たてられる事嫌う人ばかりで

でも きみはそれでいいの? 楽がしたかっただけなの?
僕をだましてもいいけど 自分はもう だまさないで

さよならCOLOR はじまることが
たくさんあるんだよ
本当のことが 見えてるなら
そのおもいを僕にみせて

自分を貫くことは とても勇気がいるよ
誰も ひとりぼっちにはなりたくはないから

でも 君はそれでいいの? 夢の続きはどうしたの?
僕を忘れてもいいけど 自分はもう 離さないで

さよならCOLOR はじまることが
たくさんあるんだよ
本当のことが見えてるなら
そのおもいを捨てないで

さよならCOLOR はじまることが
たくさんあるんだよ
ほんとうのことは 見えてるんだろ?
そのおもいよ 消えないで

そのおもいを僕にみせて

<和田創>

この曲は、着歌に合わせてみんなで即興で合唱しちゃいました。


「ジャンクヤード」 窪塚陽介
 無造作に
積み上げられたガラクタ

あの冷蔵庫は
その上のテレビを支えている
別に支えようなんて思っちゃいない

その冷蔵庫だって
下の電気コタツと
横のレンジに支えられている
別に支えようなんて思っちゃいない

ただそこにあるだけ

きっと僕らも
ただそこにいただけ

だけど

ありがとう
お前等がいて本当に良かった <坂本遼>


「争いのない世界より対話のない世界のほうが怖い」
山口先生 <宮先美貴>


「仏の考え ビーングピースより本当の名前で呼んでください」 ティクナットハン 
明日、私が出発すると言わないでください
今日まだ到着しているのだから
深く見てください
私は毎秒到着している
そして春の木のつぼみとなる
羽がひ弱で新しい木でさえずり始めた小鳥となる
花の中にある青虫となる
石に潜んでいる宝石となる
私はまだ到着している
笑い、泣き、恐れ、望むために
私の心臓の鼓動はすべての生き物の生と死に他ならない
私は川の水面で変態しているトンボ
私は春になってトンボを食べるころにやってくる鳥
私は澄んだ地で幸せに泳いでいる蛙
そして、私は静かに近づきその蛙を飲み込む小蛇
 ・・中略・・
私の喜びは春のよう
あたたかく、生命の歩みのすべてが花を咲かせる
私の苦しみは涙の川のよう
溢れて視界を満たす

すべての本当の名前で呼んでください
そうすれば私の泣き、叫びと笑いがすべて同時に聴ける
そうすれば私の喜びと苦しみが一体であることがわかる
すべての本当の名前で呼んでください
私が目覚め、心の扉、慈愛の扉が開け放しになるために
<森本有紀子>


「大きな木」 長田弘 <宮先慶徳>

「内部からくさる桃」茨木のり子
耐え切れず人は攫む
贋金をつかむように
むなしく流通するものを攫む

内部からいつもくさってくる桃、平和

日々に失格し
日々に脱落する悪たれによって
世界は
壊滅の夢にさらされてやまない

人間であることは他者や世界との関係を引き受けて生きるということだ
 パウロ・フレイレ  

ぼくがここで問題にしたいのは、人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、いま現時点で、人間の一人ひとりはいったい本当に生きているだろうかということだ。
 本当に生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活をつづけているというのなら、本質的に生きているとはいえない。ならば人類滅亡論をいうことも意味がないじゃないか。一人ひとりが強烈な生きがいにみちあふれ、、輝いて生きない限り。
岡本太郎 <今井宏樹>


「鏡のなかった頃」「木を植えましょう」 正木高志 <増田裕子>

木を植えましょうは、なぜかみんなすぐ歌えたのでCDに合わせて歌いました。


これらは、合宿に参加してくれた人のもの。

以下は、合宿には参加できなかった友人たちが送ってくれたもの。

「Happy&easy」≒スマイル&ナチュラル
「1人の100歩より100人の1歩」

「only is not lonely」 糸井重里
「誰もがオンリー。だからロンリーじゃない」って意味でも、共感。

「挑戦する。勝利者でありたいと激しく熱望する。しかしその勝利のために、ひとりの敗北者も生まれない勝利だ」 岡本太郎の言葉。

「にぎれば拳、ひらけば手のひら」 格言

「LOVE FREE」 <山下千春>


「大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々心になろう」坂口安吾著 堕落論 <T.M>

「走る馬から花を見る」 橋田信介 <奈良あゆむ>

「人にやさしく」 ブルーハーツ
やさしさだけじゃ人は愛せないから(ナーナーナーナーナー)
愛情だって人間関係だって、それこそ平和だって、嫌いな人なんてほとんどいないわけで。
だけどそのどれも、相手に対して「やさしさ」を持っているだけじゃ手に入れることができない。
優しいだけじゃ、人の信頼を得る事は出来ても本当に大切な愛情を手に入れることは出来ない。
そういう物を手に入れるには、自分で動いて、苦労しなきゃ。
そう言われている気がする。
 <本間英士>


これからもずっと募っていきますので、みなさんの心の支えを伝えてください。

また、massunから、その人のことばは、その人自身が語らないと意味がないと指摘されました。

確かにそう。

受け売りじゃ意味がない。

でもきっと、みんなが送ってくれたことばたちは、それぞれの色んな想いや経験、出会いのたまもので、大切なその人自身の「ことば」以上のなにかなんじゃないかなぁと私は思っています。

もちろん、それぞれのことばで語るということは、とても大切。
そんな場もしっかりと設けていきましょう。

  1. 2007/02/23(金) 00:08:32|
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想いをつなげるために

2月18日。
今日の大江戸線内は、いつもとちょっと違う空間だった。
少なくとも私にとっては。

今日は、午後1時から有機農業研究会主催の有機農業入門講座に行くという予定しかなかったので、午前中は、明日からのNOwarYES合宿in織座農園の準備をする気でいた。

それが、家でゆっくりしていた私に、急に山谷の仲の良いおっちゃんから、馬鹿をしてラーメンも食べられないから助けてくれと連絡が入った。
ごく最近、彼は親しい仲間が自ら命を絶ったばかりだった。
きっとそれでやけになってしまったんだと思った。
亡くなったことを知らされてから、少し連絡がなかったので心配ではあった。
心で思っているより、身体を動かして、彼に会いに行けばよかったと悔やまれた。
でももう遅い。
悔やんでいるだけでは、彼のお腹はいっぱいにならない。
それどころか、のたれ死ぬかもしれない。

というわけで、山谷に持っていこうと思っていたレトルトの食品たちをできるだけ持って大江戸線に飛び乗った。

そんなおっちゃんからの連絡があったからこそ、私はあの空間を共有する一員になれたのだと思うと、なんだか不思議だなぁと思う。


11時4分光が丘発の地下鉄に乗っていつもの席に座り、小川洋子の小説を読みはじめた。

2つか3つ、駅を通り過ぎたとき私の隣には3歳くらいの女の子が座っていた。

その子は、落ちつきなく膝をついて窓に顔を貼り付けたり、モゾモゾしていたため、母親にちゃんと座るよう叱られていた。

その子がまっすぐ座ってまもなく、手話つきで歌いだした。


世界中のこどもたちが 一度に笑ったら
空も笑うだろう ラララ 海も笑うだろう

世界中のこどもたちが 一度に泣いたら
空も泣くだろう ラララ 海も泣くだろう

広げよう 僕らの夢を
届けよう 僕らの声を
咲かせよう 僕らの花を
世界に虹をかけよう

世界中のこどもたちが 一度に歌ったら
空も歌うだろう ラララ 海も歌うだろう



小説に夢中になっていた私の代わりに初老の男性に席を譲られ、彼女の横に座った母親は、「上手だね」と彼女を褒め、彼女は歌い続ける。


ふと、歌の途中で彼女は母親のほうを向き「どうしたの?」と顔をのぞきこんだ。
母親は泣いていた。ぐすんぐすんと鼻をすすりながら、黄色いハンカチで涙をぬぐっている。
それを見て彼女は「もう一度歌ってあげるね」とはじめから歌いだした。

再び歌いだした彼女の声と手話が車内に浸透している間もずっと母親は泣いていた。

彼女の手話、そして歌声は、とても綺麗で透きとおっていた。

私の斜め前に立っていた父親とベビーカーに乗せられた彼女の妹もその空間の中に居る。
妹はキャッキャと笑い、父親は母親を抱きしめたいとでもいうような表情で見つめ、代わりに少女の妹の頬に手をあて、額を合わせた。

私は、この家族の真ん中で、開いていた小説の頁が一向に進まず、さっきまで少女の歌に合わせて揺れていた肩が小刻みに震えた。

おかげで、妹の抹茶色の傘を電車の中に忘れてきてしまったけれど、彼女とその母親、そして父親と妹のあの家族に出会えたことは、私にとって何かの巡りあわせのようにも感じている。


tedukuri
このあいだ、毎月15日に京都の知恩寺でひらかれている手づくり市に行ってきた。
織座農園で出会った友人たちが、ひさしぶりに陶器や布ナプキン、お菓子や刺繍入り靴下を出すというので、最近買い物をしていなかった私とmassunは、どうせお金を使うなら創り手の顔が見える買い物をしたいという思いもあり、夜行バスに乗ったのだ。
tedukuri3


私たちは、朝8時から夕方5時までたくさんの創り手や、その創り手たちの手で創られたものたちに触れ、声を聴き、とびきりいい出会いには手をつないだ。

EARTHDAY TOKYOで出会った創り手とも再会した。


手づくり市に行って、最近、絵本やアニメーション映画を観ていて思った。
私が幼い頃に読んだ絵本や小説、観た映画、歌った歌は、そのほとんどが大人によって創られたものだ。それらは、私にとって励みや、慰め、そして友人であった。

大人たちはどんな想いでそれらを創作したのだろう。
それを強く思わされたのが、鉄コン筋クリートという松本大洋の漫画を映画化したもの。
友人のお母さんが制作にたずさわっているので、誘われて偶然見たのだが、これがすごい。
登場人物もそれぞれ面白いが、舞台となる宝町もアジアの喧騒とした感じと、横浜寿町のような雰囲気で、見ごたえがる。
内容は・・ここで言っちゃうともったいないので言わない。
きっとそのときの気分や天気によって見方も変わる映画だと思う。
私はそう感じた。

さて、人の創作物を介して、自分の想いを伝える、自分の内面の想いを代弁してもらうということをしてみたい、とふと思った。
そうだ、織座合宿でやってみよう。

と、思い、こんな風に呼びかけた。


今日は、織座合宿前にみんなに募りたい「みんなのことば」についてメールしました。合宿に来られない人も読んでくださいね。

ここでの「みんなのことば」というのは、それぞれが、感銘・共感・影響を受けた本、映画、歌、詩、絵、TV番組、新聞、雑誌などの「ことば」を抜粋して、それを代替文として自分の想いや考えを伝えて欲しいなと思い、考え付いたものです。
たとえば、私の場合(一つの例として)、茨木のり子さんの「椅りかからず」という詩の以下の文章。

もはや
できあいの思想には椅りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には椅りかかりたくない
もはや
できあいの学問には椅りかかりたくない
もはやいかなる権威にも椅りかかりたくはない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていて何不都合のことやある
椅りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ


そのことばによって、今の自分があるとか、平和の大切さが身にしみたとか、かかわっている問題について入り込むきっかけとなったとか、間違ったことは間違っていると言える強さをもらったとか、まぁ、そこまでいかなくても、今までの、短い人生ではあるけれど、その生涯において、感銘・共感・影響を受けた「ことば」を募りたいと思います。

ただ、ひとつだけ、条件。
戦争や平和にかかわること、それとつながる(本人がそう思っていればいいですよ)小さな小さな暮らしにかかわること。

ちょっとわかりにくいかな。
ちょっとした自己紹介みたいなものを、その人の大切な「ことば」を通してできたらという感じです。


それをみんなで共有すれば、心強いはず。 みんなの心の支えのおすそわけをしてください。


このお願い、これを読んでくれている人にも聞いてほしい。
メールでもコメントでも良いので、あなたの「ことば」送ってください。
あ、「ことば」と言っても、絵でも映像でも創作物ならなんでも。

最後に、今日は私ではない誰かの「ことば」ばかりで恐縮ですが、織座農園のお母さんが、山形の合宿先に持ってきてくれた新潟日報の記事のひとつにあった小川洋子さんのことばを。


人が自分の生きている世界と何かしらの絆を結ぼうとしたとき、
必ずしも感情をぶつけ合って妥協点を探したり、
人格をさらけ出して互いのすべてを分かり合おうとしたりする必要はないのかもしれない。
たとえば、たった一冊の本、一つの歌、一枚の絵、一個の星、そういうものの前で心を震わせる瞬間にも強い絆は築かれている。

心の震えは自分一人のところにとどまるものではなく、
遠いどこかの誰かにも響いてゆく。
その響きに耳を澄ませるとき、自分が目に見えない、偉大で心地よい世界によって守られているのを感じられる。


20070217162106.jpg


  1. 2007/02/18(日) 22:38:39|
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洞窟には出口がある



あんまり「普通」という表現を使用したくないのだけれど、今日、ごく普通の若者が、国家権力人権も、誠実さも、情もないモンスターにとって喰われ、腹の中でもがきながら這い上がっていく映画を続けて2本観た。


これらノンフィクションの映画の登場人物たちは、ごく平凡に生きていた。
アパルトヘイト下の黒人、9.11直後のパキスタン系イギリス人という人種差別の矢面に立たされていた彼らは、目立たないよう、大衆の中に埋もれて生きていた。

ひとつめの映画、「輝く夜明けに向かって」を紹介した雑誌の記事には、「なにがノンポリをテロリストに変えたのか」とある。

この映画の主人公は、1980年の南アフリカで白人の経営する石油精製所のリーダー職に就き、家族を愛し、サッカーに夢中な2人の娘の若い父親だ。

そんな彼がテロの冤罪で捉えられ、アパルトヘイト政策を忠実に遂行しようとするテロ対策担当の白人によって、妻も拷問にあったことを知り、ANC(アフリカ民族会議)の軍事訓練を受け、自ら働いていた精製所の爆破計画を仕掛ける。

物語の各所では、アフリカのフリーダムソングが歌い、踊られ、砂埃の中、本当の自由を得ることへの祈りが劇場いっぱいに浸透した。

この映画では、アパルトヘイトが黒人たちによって覆されたときを象徴するように、他者を、敵を、許すことの芯の強さ、ゆるぎなさを描いている。

エンドロールの前に主人公のパトリック・チャムーソへのインタビューが入っていて、そこでの言葉が印象深い。

「(政権交代後に再会した自分や妻を拷問した白人に対して)私の次の世代、そしてその次の世代まで彼を生かしておこう。そう思えた瞬間、私ははじめて解放された。」

あの時代の、私がまだ小学生だった時代の黒人たちの尊い生き方から、ネルソン・マンデラの「自由になるために敵を許そう」といった演説から、今の世界は何を学び、今在るのか。


胸の中に、憤りがふつふつと湧き上がるのと同時に、目の前のことと世界のことに、地球が丸くて全てつながっているのを感じながら、しっかりと向き合っていける強さのおすそわけをしてもらった気がした。


もうひとつの映画は、マイケル・ウィンターボトム監督の「グアンタナモ、僕たちが見た真実」という映画。
9.11直後のアメリカ軍の収容所に2年以上も無実の罪で拘禁されていたパキスタン系イギリス人の若者3人を主人公とするものだ。

イギリスで生まれ育ち、親の故郷で結婚式をするために休暇をとって新郎とその友人たちがパキスタンに行き、興味本位で9.11直後のアフガニスタンの悲惨な状況をこの目で見ようと国境を越えるところから彼らの悲劇は始まる。

映像の随所に本人たちのインタビューが使われているのだが、彼らが社会や政治にまったく興味のない若者であることに驚いた。

ひとつめの映画の主人公、パトリックは自分と妻への拷問によって武装集団に入ることを決めるが、この3人は、グアンタナモというキューバにある治外法権下の収容所でひどい拷問を受けてもなお、政治や人権について訴えたり、社会に問うたりする意識を持ったわけでもなさそうだった。(もちろん、冤罪で捕らえられ、拷問を受け続けたことで訴訟を起こしてるけどね。ラムズフェルドに対して。)

よくある反体制に燃える若者でもなければ、なにかをきっかけにそうなるわけでもない、当たりまえにどこにでも暮らしていそうな若者が、発狂して犯してもいない罪を認めてしまうぐらい烈しい拷問を受けている姿に、他人事ではなく、自分を、友人を重ねてしまう。
それぐらい、彼らが私たちに近い存在として映る。


今の日本の若者みんなに見てもらいたい、以前、イラクで武装集団に日本人が捕まったときに「自己責任」という言葉を口にした人すべてに見てもらいたい映画だ。


加えてもう一つ、おもしろそうな映画イベントを紹介したい。

対話の可能性 ~3つのドキュメンタリーから~

日程:3月10日(土)
場所:パルテノン多摩小ホール
HP:http://www.parthenon.or.jp

①10時~「ディア・ピョンヤン」
北朝鮮に人生を捧げる父を娘がカメラで追う在る在日一家の10年にわたる物語。(上映後、梁監督のトークあり)

②13時~「ルート181」
イスラエルとパレスチナの監督2人が、両国間の分割線をめぐるロードムービー。

③18時半~「ライファーズ~終身刑を超えて」
犯罪者への厳罰化に一石を投じるドキュメンタリー。(坂上香監督のトークあり)


周りの友人たちや、妹たち、そして山谷で暮らす人たちと接していると、世界の問題と自分がつながっていることを胸の中では感じていたとしても、自分の暮らしの一つ一つにまで意識を行き届かすことはできず、自身の問題に埋没していってしまっている気がする。

彼らの、そして私自身の、まだ光の見えない暗い洞窟に風を通すため、いつか出口にたどり着くような道しるべをつくるため、暗闇の中でたくさんの人間たちが手をつなげる位置にいたことを気づくために、人との出会いや、映画や本、歌や教養によって世界とのつながりを意識して生きたい。


  1. 2007/02/14(水) 01:05:39|
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赤湯より学びしこと

春のような陽気ですね。
私は今日も外で大好きな昼寝をしてしまいました。
お弁当食べながらベンチでこくりこくり・・気持ちよかったぁ。

ついこの間まで2週間ほど織座農園で出会った友人たちと共同生活をしていた山形県南陽市赤湯という雪国でも地元の人たちは口々に「春が来たみたいだ」と話していました。

もちろん、そんな風に話していても一日目が明けた翌朝の風景はこんな感じ。
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一日一雪だるまなんて言ってたけど、どんどん雪がなくなって続けることはできませんでした。
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無事16日で自動車学校を卒業し(晴れて本日、免許を取得しました!)たっぷり2泊3日、名残惜しさを和らげるために赤湯を歩きました。

赤湯の近くには、有機農業で有名な高畠や長井、川西という町があって、そっちにも気持ちが惹かれてはいたけれど、それ以上に赤湯が恋しかった。

赤湯のお湯が、人が、空気が、神社が、雪が、漬物が、おっちゃん、おばちゃん、おばあちゃんが、私をとっても心地よく過ごさせてくれたのです。
ほんとにありがとう。

きっと読んでないだろうけど、一緒に暮らしたしのちゃん、ゆっこさん、みきちゃん、おしょうしな(ありがとう)。

右からしのちゃん、ゆっこさん、みきちゃん、私。(わかるかな笑)
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赤湯温泉は、900年という歴史の長い温泉。
その名の由来は、八幡太郎義綱が、戦いで傷ついた家来たちを湯に入れたところ、たちまちのうちに傷が治り、傷からでた血で温泉は深紅に染まったことからついたといわれているのだそう。

温泉街には、昔は無料で農民や商人たちがそれぞれの社交場として入っていた公衆浴場が今も昔と変わらず、5つあって、女湯では、おばちゃんやおばあちゃんたちが背中を流し合って私たちには聞き取れない山形弁で(それでも滞在中は結構真似したりしてたんだけど)おしゃべりしていた。

私たちも授業が終わった後、かかさず通い、気づくと5つのお湯(とわの湯、大湯、丹波湯、烏帽子湯、あづま湯)に2,3度ずつ入っていたので顔なじみもできた。

地元の人たちは、若いよそ者が来たことにいやな顔ひとつせず、おおらかに、しかし、どこか凛としたいでたちで「ここの温泉はほんとに宝」と誇りを持って話してくれた。


散歩したときの風景たち。
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私たちの寮の近くには、1200年の歴史を持つ熊野大社がありました。
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今までに見たことのないくらいたくさんの神様が祀られてた。
雪で埋もれてあまりしっかりは見られなかったのが残念。
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赤湯温泉街を見下ろすように、日本一のつなぎ目のない石でできた鳥居のある烏帽子神社と烏帽子山公園。
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ここからの景色で、赤湯が大きな大きな田んぼに囲まれた小さな小さな街だということがわかりました。
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ということで、雪に覆われた田んぼのほうに歩いていってみることに。
烏帽子山を下って20分くらい歩くと、見えてきた見えてきた、向こうの方に蔵王の山々。
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近所の鉄板?銅版?でできたお家。作業場でしょうか。気になって何ショットも撮ってしまいました。
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熊野大社の境内に行く途中にある古い理髪店と商店。
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米沢の白布温泉にも4人で行ったなぁ。卯の花が浮いてすこし温泉が強く、ちょっとぐったり。
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私は赤湯の熱くてずっと入っていられないあのお湯が好きです。

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赤湯で暮らして思ったこと。

ちょっと東京にこだわりすぎていたかなぁと自分を振り返る。

いくら生まれ育った場所だからって、仲間が多く暮らしている、向き合いたい問題や人間たちがゴロゴロいるからって、今の私にはまだまだまだ「東京でなにか」はできない。続かない。

赤湯での非現実。

東京での現実。

それに真剣に向き合える度量が私にあるんだろうか。

今はまだ、非現実を、理想を、現実にしていくパワーが、若さが、可能性が、あるんじゃないか。

少なくとも、それらを追っかけていく脚力は、今が旬。


赤湯から帰ってきてすぐに行った卒業旅行でも、まっすぐ友人たちと向きあえず。自分のこれからのことばかり考えてしまって残り少ないだろうとされている彼らとの時間を大切にできない私。

情けないやら、甘ったれてるやら。



最近は、映画を1日2,3本観ています。
これから観れなくなるかなぁなんて思い。

しばらく東京から、都会から離れて暮らしてみようかなぁと。


もちろんネットワーク・・・いや、つながりは、お手紙や、つなげれば電話で。いや、心はいつもつながってます。
この4年間で、生きていくことを考え、つくりだす支えとなるつながりを築けたことに感謝。

いったんこのヒトノカズダケからも卒業かな。

ちょっと寂しいけど、そんなことを考えています。

そしたら、みなさん、massunをよろしくね。
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  1. 2007/02/08(木) 22:48:57|
  2. 旅の思ひ出
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