ヒトノカズダケ

 ヒトノカズダケ・・・ 言葉があり、想いがあり、LIFESTYLEがあり、幸せがある。 日々よぎる思いを言葉にし、近くにいるようで遠い誰か、まだ知らない誰かとつながりを持てたらいいと思ってつくりました。

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ねむの木村へ

夜勤明けの昨日、ふと思い立って静岡県掛川市にあるねむの木村に行ってきました。

雲ひとつない青空の下、新富士駅のホームからはすぐ近くに富士山が。


ねむの木村は、掛川駅からバスで20分の山の中にあります。
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バスの窓の風景は、茶畑と収穫を終えた田んぼが続いていました。
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ねむの木村は、女優の宮城まり子さんが1968年に日本で初めて設立した肢体不自由児のための養護施設を発端とします。

そして、それまでは町の公立学校の分教場としての義務教育をおこなっていたのが、養護教育が義務化された1979年に私立ねむの木養護学校が設立され、「障害をもつすべてのこどもたちの才能を信じて、かくれた能力を引き出すべく、個性の尊重と豊かな人間性を培うことをねらいとした、無学年制の開かれた教育体系を実践」(HPより)しています。


絵画・国語・工芸・音楽・茶道など、感性と感受性を大切にすることで集中力を養う教育をおこなっていて、日本国内でも海外でもとても高い評価を得ていて、ファンもたくさんいます。


ねむの木学園で暮らす子どもたちの生活を豊かにするため、文学館・美術館・喫茶店・毛糸屋さん・がらす屋さん・雑貨屋さんなどができていて、1999年にはねむの木村が開村されました。



以前から、1度訪れてみようと思っていたのですが、山、森、小川、湖のあるとても静かな、澄んだ場所でした。
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子ども美術館の外壁には、子どもたちが描いた色んな背の、色んな形の麦穂が。

子どもたちが一つのテーマで絵を描いたのはこれが初めてだったとのこと。


1人1人の麦穂が、しっかりと立って、風になびいているようでした。
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私のお気に入りは、この2つ。

nemunoki19.jpgたけうちよしかずさんの「静岡県大井川鉄道」 
前から知っているこの絵を、この目で見れて感激。
二枚のキャンバスをつなげて、秋にぴったりの深い色をたくさん使っていました。
この電車、乗ってみたい!

nemunoki16.jpgほんめとしみつさんの「おねがい」
灰色とピンクのグラデーション。
私の好きなグラデーション。
いつか、部屋に飾りたいな。

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美術館を堪能して、木立を歩きながら山を下って辿り着いたのは村の中の喫茶店。
木と木のあいだに立派な蜘蛛の巣が。
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私は、蜘蛛の巣を見つけると写真を撮るのですが、いつもうまく撮れません。
誰か、撮り方を教えてください。
蜘蛛って格好いいですよね。なんだか気品もあって、いちばん好きな虫です。


湖を眺めて、ゆずジュースを飲みながら、1時間ほど手紙をしたためました。
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湖には白鳥が二羽。
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ほとりにいた白鳥、こんなに近くで観たのは初めてでした。


湖の縁を歩いていくと、吉行淳之介文学館に着きました。
茶室がついていて、書斎もそのまま復元されていました。

彼への愛があったからこその、子どもたちへの愛なんだなとその場所に行ってみて強く感じました。


美術館や、その周りの木々、山々、小川や村のたくさんの居場所からは、宮城まり子さんと子どもたち、その輪の中にいるたくさんの人たちの溢れんばかりの愛が伝わってきました。
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その愛は、抱き、抱かれた人間以外にも感じられる愛で、なんというか、私もそれにおなじように包まれたような気がしました。





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  1. 2008/11/14(金) 19:34:53|
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銀婚旅行


「我が家はバラバラだぁ~」

父はよく、斜め上のほうを見上げながらそう笑って叫びます。


家族ってほんと不思議で、別々の人間が狭い場所で何年も何年も飽きることなく一緒に暮らしているわけです。

ある意味、奇跡だと思います。


今日は、そんな奇跡の一つ、秋山家の話をしたいと思います。



はじめの父の叫びを聞くと、なんにも考えてないようにみえる父が、実は冷静に4人の女たちを眺めていたのかもしれない、そして、自分の位置をしっかりとわかっていたのかもしれないと思ったりします。


うちの父は、山口県下関市出身で、10歳ぐらい年の離れたお兄さんがいて中卒で集団就職をし、そのまま大阪に住んでいます。
父が小学校1年生の頃、祖父が亡くなり、祖母と19歳のときまで2人暮らしをしていました。

古い大きな柱時計がかかった家で、煮干だしのきいた味噌汁を飲みながら父は育ったんだと思います。
確か、サッカーをやっていて、なかなか上手だったとか。

今では、走ることはもはや、歩くこともままならない感じですが。


19歳のとき、父は上京しました。

はるばる、山口から東京に落語家になるのを夢見て。


物思いのついたころから今までを思い起こしてみても、父がすらすら話をしているところなど観たことがなかったので、この話は未だにあまり信じていません。


上京して、どのくらい奮闘したのかは聞いたことがありませんが、ほどなく父は劇団の演出家の方に拾われて芝居をするようになりました。

その頃、母は、昼は航空会社に勤め、夜は早稲田の第二文学部で演劇を学びながら、劇団でも芝居をしていました。

そう、2人の出会いは劇団。

今でも、劇団仲間とのつながりは続いています。


が、誰もが結婚などするとは夢にも思っていなかった2人の結婚。

出会いから10年余り後の出来事なので、そのあいだの10年、なにがあったかは秘密。


娘の私にも言わないでいてほしい2人のそれぞれの青春時代。



と、2人の馴れ初めの話をしたのも、この秋、2人は結婚25周年の銀婚式を向かえたわけで、そのお祝いに今月初めに家族旅行をし、そのとき想ったことを書いてみようかなぁ・・と思ったからなのでした。

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場所は、京都・大原、滋賀・能登川・近江八幡。

私の行きたい場所をふんだんに盛り込んで、何の相談もなくつくった栞を、父、母、末の妹はとても喜んでくれました。

我が家には私と末の妹、千草のあいだにもう一人の妹、咲良がいます。

彼女は、高校卒業とともに自立し、一旦帰ってきたものの、今は群馬で恋人とそのお母さんと妹と犬一匹と暮らしています。

彼女は彼女で、とても面白いのでまたいつか書きたいと思います。



銀婚旅行と題しましたが、秋山家、実は家族旅行は初めてであります。


そのことに気づいたのが、みんながそろった11月1日夜の旅館で温泉であったまり、浴衣を着て半分布団に入ってからでした。


そうかぁ・・それは企画してよかったなぁとしみじみ。


1日目・・

千草と紅葉は夜行バスで6時に京都着。

地下鉄で20分のところを、距離感覚があまりないらしい紅葉の道案内のもと、2時間鴨川沿いを歩きとおし、京都の天然酵母パンの老舗、パンドラディに到着。

途中、スキップで100Mほど後ろに置いていかれた自転車好きな千草もパンドラディのパンでいつもの笑顔を取り戻し、一安心。

さぁ、1日が始まるぞ!

と、バスで京都駅に舞い戻り、滋賀県瀬田にある滋賀県立近代美術館へ。

アール・ブリュット展を観に、そして「非現実の王国で~ヘンリー・ダーガーの謎~」を観るために。

アール・ブリュットとは「加工されていない、生のままの芸術」を意味する概念で、フランスの美術家ジャン・デュビュッフェが60年以上前に提唱したものです。

デュビュッフェは、精神障害者や幻視者をはじめとした正規の美術教育を受けていない人々が内発的な衝動の赴くままに制作・表現した作品を評価し、既成の美術概念に毒されていない表現にこそむしろ真の芸術性が宿っていると主張したとのこと。

まさに、美術の教科書や、大小の美術館で眺める絵や彫刻とは全く異なった、想像や衝動そのものをかたどったような物体や絵がそこにはありました。


アール・ブリュットのアーティストたちは、アウトサイダーとも呼ばれ、彼らが創った世界はアウトサイダーアートと呼ばれています。


私が、アウトサイダーアートと初めて出会ったのは、大学3年のときにmassunが高校の友人たちと開いた自閉症をもつ人々の芸術展でのことでした。

そして、その後、山谷で出会ったおっちゃんたちの俳句や絵、ダンボールとごみで作ったアートなどにも触れ、ねむの木学園のことも知り、オイデヨハウス風の工房という長野のアトリエにはどうしても行ってみたくて足を運んだりしました。


あぁ、ほんとに触れてほしい。

観て、そのものが表している空気や表現を心にとり込んで、それを創った手、足、目、耳、口、心、身体のいろんな部分や、その一つ一つが成り立たせる表情を想像してほしい。


ほんとにおもしろいんだから。


人間て、なんて自由で、なんて豊かで素晴らしいんだろうと思えるから。



私たちが「非現実の王国で~ヘンリー・ダーガーの謎~」を観始めた頃、父は一人、新幹線で京都に到着。

大阪府吹田市に住んでいる兄を訪ねに行きました。

私「どのくらい連絡とってないの?」

父「ん~2年くらいかな」

私「えーもっと経ってるよ」

父「3,4年くらいかぁ」

と、4年近く音信不通の父のお兄ちゃん。


この旅では会えなかったけれど、いつかまた元気な姿で会えたらいいな。
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宿は、京都・大原、寂光院にほど近い大原山荘という民宿。
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夕食は、4人分の味噌鍋を千草と父と私でおなかいっぱいたいらげました。

温泉に入って、ゆっくり身体をあっため部屋に戻ると、母の声が。暗い山道をどうやってたどり着いたのか、さすが母。
仕事で遅い時間の合流でしたが、寒い中、お迎えで湯冷めする家族を思いやった配慮ナイスでした。


というわけで、ここでやっと4人みんながそろったわけです。

家族旅行なのに、みんなバラバラ。

温泉に行くのもバラバラ。

でも、そんなバラバラマイペースなのが心地よいのです。


2日目・・・

朝8時に朝食を食べ、10時まで大原散策。

寂光院、三千院、宝泉院、勝林院・・とすべてはまわれず、最後は山を駆け下りるなど、父なんてまるでコントではあったけれど、深緑から紅葉へと変わりつつある山々の空気のなか、とてもいい時間を過ごしました。
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そして、能登川図書館

能登川図書館の魅力については、友人の書いたコラムを読んでみてください→論楽社ほっとニュース

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母に時間が足りないぃーーと言わせながら、近江八幡の八幡掘周辺の町屋街にあるギャラリー・ボーダーレスアートミュージアムNO-MAへ。

町屋街に心惹かれながら、家族とははぐれ、たどり着いたのが天籟宮 ten lai kyu。

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「残すべき物を生かし、無い物をつくる」考えのもと、町屋の有効活用をし、個性と魅力ある街づくりを目指した活動をしているNPO法人エナジーフィールドが運営しているギャラリー+カフェ+コミュニティー。

築200年の町屋の一室に広がる繭のアート。

座敷に存在感があるようでふわっと在る枝々にまとわりついた薄い繭膜が張ったオブジェ。
障子も繭を薄く薄くまだらに紙とも布ともつかぬ、繭の膜が張られていました。

中庭や、入り口には、銅版でかたどられた動物たちが。


この天籟宮の空間がすっかり気に入ってしまって、しばらくここで休もうと思い、電話を借りて千草に電話をかけました。


ずっと滋賀に惹かれていたのだけれど、この旅で一層、滋賀への関心が高まってしまいました。


そろそろ東京から離れてみたいという気持ちに素直になってもいいかもしれないなんて。


さて、銀婚旅行は滋賀県近江八幡の町屋街めぐりでなんとか終わりを迎えました。

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その夜、千草は一人旅へ。


父と母、紅葉は東京へ。



なんと、長い2日間だったことか。


父、母は非日常から現実に戻ってきて混乱し、困惑していたけれど、私も1週間ほど疲れを引きずりました。


家族とは、なんとバラバラで、しかしどこまでいっても家族なんだなぁ。



子どものころは死ぬほど嫌いだった家族を、こんなに愛しく思えるようになったすべての出会いに感謝したいと思います。



長くなったけれど、このあたりで終わろうと思います。



家族のことは、書ききれないぐらい小さいネタがたくさんあるので、またいつか書ければと思います。

が、自分にとってかけがえのないものについて、活字にするというのは難しいわけです。

表現できない些細なことがらによって何とか成り立っているようなものだと、今回気づかされました。

まぁ、期待せずにいてください。





「生きなおすことば」を著した大沢敏郎さん、筑紫哲也さん、数少ないけれど確かにいる憧れの、どうにかこうにか追いつきたい、目指すべき大人の訃報が続いてとても哀しいです。


どうか、どうかみなさん、実り多い秋を過ごし、あたたかな冬を迎えてください。


KUREHAより




  1. 2008/11/11(火) 21:31:39|
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トライアングルの先からみた景色


昨日、ひさしぶりにmassunと会いました。

織座農園で日に日に陽射しが強くなる中、一日中身体を動かして暮らしている彼女は、農耕民族の身体を取り戻してきたと、とてもいい顔をして笑っていました。


昨日は、逗子の一色海岸できらきらと眩しい海を眺めながら、お互いに色々語らいました。

念願のわかなぱんのカフェで美味しいランチを食べて、夜勤明けの頭と身体をいい感じに覚醒させてから。

昨日撮ったばかりの逗子の写真はまだあがっていないので、MTKのアデヴァシーと出会う旅の後に、massunとryoちゃんと私の3人で旅した時の写真を載せたいと思います。

訪れたのは、南も南、インドの最南端で撮ったアラビア海とベンガル湾、インド洋を一望できるカーニャクマリという街。

淡くてきれいな色の小さな漁船が並ぶ港と、沐浴場、都会の喧騒とは異なった柔らかな空気の漂うかわいらしくて魅力的な街でした。

日帰りで、インド人や、インド在住の欧米人の観光地であるコーラヴァラムビーチという、インドで一番美しいといわれる砂浜にも行ったのでそのときの写真と一緒に。


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このあいだ、2月まで働いていた精神障害をもつ人たちの作業所のメンバーから、月桂樹の葉っぱが届きました。
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去年の冬に、一緒に壁にかけて干した月桂樹。

「秋山さん、月桂樹の葉っぱどうする?」

お久しぶりと挨拶を交わす間もなく、ついさっきまで一緒に居たような口ぶりで、いつも気にしてくれていたんだなぁと思わせるようなそれはもう優しい声の電話でした。

そして、次の日、ポストにはからっからに乾いた葉っぱの入った封筒が。
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精神病院で、半年あまり働いて、100人以上の精神障害、精神の病を抱える人たちと会ってきました。
短期医療を進めているため、1人が入院する期間は3ヶ月まで。
短い人は、1週間ほどで退院します。

そして、またその人の地域に帰っていく。

病院に入るまで、精神障害をもつ人にとっての地域とは、社会的資源と呼ばれる社会福祉法人や、NPO、役所の福祉、支援センターや、保健所などが手をつないでつくられた土台のもとにあるものだと考えていました。

でも、現実は違っていました。

彼らは、彼らの家族のもとに、仕事場に、友人たちのもとに、戻っていきます。


山谷で、コンビニの店員も、モーニングを出す喫茶店のウェイターも、居酒屋のおばちゃんも、ドヤ(簡易宿泊所)の管理人も、みんな一人一人が、ソーシャルワーカーだと思ったことを思い出しました。


その人の日常に、その人の人生の小さな一コマに、在る一人一人とのかかわりが、登場するコマが多ければ多いほど、その人自身を成り立たせる、生かす、大事な大事なものなんだと、改めて考え始めました。


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私にとって、インドは、忘れたいたものを思い出させてくれたり、新しい何かをもたらしてくれたりする存在ではないような気がします。

私とか、あなたとかいう概念を取り去り、生きとし生けるものすべてに生かされている小さな1つの生命体として、中枢から滲みあがり、込みあがるものの存在に気づかせてくれる、そういう存在です。

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再び、インドの地に足をつけるまでのあいだ、今居るこの場所で、その生命体としての意識を大切に抱きながら一歩一歩歩んでいきます。

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  1. 2008/07/17(木) 10:50:37|
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ホームステイ


2007年・2008年の南インドの旅の文集が出来上がりました。

4月から同じ大学で学んでいる妹を経由して手にしたとき、とてもあたたかいつながりを感じました。

それは、南インドの地に住むアデヴァシーとの、そして、あの地を共に踏んだツアーメンバーとの、10年の間にアデヴァシーと出会ったたくさんの人たちとの、つながりだと思います。

このつながりが詰まった文集は、私の宝物です。
つくってくれたkanちゃん、kawoに心から感謝します。


今年のツアーで一夜を過ごしたコンダモダル村で出会った人たちの写真を載せたいと思います。


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まわりの友人たちが、確かなものや、自信に満ちた言葉を獲得していく中で、そんな友人たちに違和を覚えながら、私はどんどんわからないものが増えていく日々を過ごしています。

「現実」というものが、どれだけ複雑で、無数のさまざまな要素が絡まりあって存在していて、その中で、時だけが一定の速さで刻まれていく。

もちろんたった1人にとっても。


わからないことがどんな容れものからも溢れてしまうほど増えていくけれど、それは、必ずしも不安や不満や、憎しみや怒り、哀しみや、死に向かうわけではない。

それこそが、生に、喜びに、出会いに向かわせてくれる。


それがなぜだかは、わからないけれど。







  1. 2008/07/08(火) 20:28:17|
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ポラヴァラム・ダムⅡ

ポラヴァラム・ダムについては、以前書いたことがある。→ポラヴァラム・ダム
ゴダヴァリ河のことも・・。


今年の旅では、実際に運河の工事が行われている場所を視てしまった。

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(左のずっと奥まで首を向けて)こーーーーっちのほうから



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この道を越えて、



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向こうの丘の奥の奥まで・・左右片方の運河の通り道をつくっている。


わたしたちが、その広さに圧倒されているところに、ヤギ飼いがヤギの群れとともに現れ、消えていった。mtk08-52.jpg



人は、水がなければ生きられない。

でも、その獲得の仕方に無理があってはいけない。

もちろん、プロセスの中でも結果においても、水にとって、人にとって、そのどちらとものまわりの生きものや自然にとってもだ。



こんな主張では、弱いでしょうか。


じゃあ、どうしたらいいのか具体的に聞きたくなりますか?



それは、たぶん、自分の身体の中から沸き起こる、滲み出る、染み出てくる、何かによって突き動かされる行い。


だから、ここでは言えない。言わない。


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彼らの毎朝・夕にかかさない沐浴が、いつまでもこのゴダヴァリで行われていてほしい。

そして、この地に来たら、わたしもこの聖なるゴダヴァリ河に身を任せる時間をもちたい。


ポラヴァラム・ダムへ

心からのお願い。
来ないでください。

あなたは、要らない。



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ポラヴァラム・ダムについての詳細など→MTKのHP

次回、「ホームステイ」につづく

  1. 2008/05/17(土) 20:42:54|
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モデルコロニー

3月18日
寝台夜行列車に乗って、チェンナイからラジャムンダリ駅へ向かう

3月19日
9時30分 ラジャムンダリ駅に着く
途中の木陰でランチを食べ、ジープで3時間ほど移動

GBAG(Godavari basin action group)のひとつ、プラクルティというNGOの拠点、デビパットナムに着く

ゴダヴァリ河に沿ったこの小さな村が、この旅のベースキャンプとなる
4年前、わたしが初めてインドの地を踏みしめたときの忘れられない場所だ。

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3月20日
20キロ離れた「モデルコロニー」と呼ばれる政府が建てた移住民たちの暮らす村を訪れる
プラガサニパドゥ村、D・ラビランカ村、ボドグッデム村の三村から立ち退きを余儀なくされた人たちが、
赤茶けた畑も河も森もないこの土地へ、ごった混ぜにさせられていた。

あたえられた家々は、コンクリートのブロックが詰まれた簡素な灰色の箱が規則正しく並んでおり、なんともみすぼらしかった。
彼らの培ってきた家の建て方や、守り方が全く生かされない家だ。

そして、なんとも暑い。
太陽の下でこんなに暑くてへろへろになるんだから、こんなコンクリートの家の中じゃ蒸し焼きになってしまう。


村の真ん中あたりに建てられた偽の大理石で固めたような集会所に、移住したアデヴァシーが集まってくれた。
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聞くと、彼らのほとんどがこの「モデルコロニー」には住んでいないという。

わざわざこの交流のため、自分たちの訴えを届けたいがために、10数キロ離れたもとの村から来たのだと言う。

つまり、一度は移住してきたものの、土地は岩だらけで耕せない、河の水は遠くて運べない、森もない、マンゴーややし、タマリンドウの木もない、家畜も置いてきた、家族が死んでも埋葬地もない・・・神もそれらの自然とともに在るため、祭りができない・・・

という彼らの暮らしと切り離せないたくさんの大切なものたちのため、移住前の村に帰ったのだと言う。

しかし、問題は山積していて、新しい村にしか学校はなく、最低貧困線以下の世帯への食糧供給もまた然り。
つまり、移住前の村に戻ったところで、以前と同じ暮らしができるわけではなく、子どもはずっと遠くまで学校に通うようになり、食糧確保に高い交通費をかけて移住先へと出向かないといけないということになったわけである。


今は、モデルコロニーとしてメディアにも取り上げられ(彼らの訴えはまったく報道されていない)、その名のとおり、モデルコロニーとしてこれから移住することになる村々からの視察も度々ある。

移住前の村に戻って暮らすことが、自由にできるのは、モデルコロニーに移り住むことを決めた彼らの特権でもある。

彼らが、本気で移住やその後の補償について、ダム開発自体について反対し始めたら、それはきっと強く大きな炎の火種になるだろうから。


ツアーメンバーの1人が子どもにたずねた。
「これから、どう生きていきたいですか」
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男の子「医者になりたいです」
女の子「教師になりたいです」

・・・

彼らは、大人たちが補償に対して訴えているあいだも、きらきらした瞳で、私たちを、そして
ずっとまっすぐを、見つめていた。

あと10年したら、また彼らと会いたい。

会って、話がしたい。

「これから、どう生きていくのか、今、どう生きているのか」


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次回、「ポラヴァラム・ダムⅡ」へつづく


  1. 2008/05/16(金) 21:53:38|
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チェンナイの空


3月17日
チェンナイは、青々とした空と、相変わらずの人と車の熱気で、もあもあと熱く、暑かった。
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YWCAで一眠りしたあと、列車に乗ってビーチ駅という終点の駅へ。
名前のとおり、海岸沿いの町で、魚料理の美味しい食堂があるだろうと見込んで行ってみるが、なんのことない貨物船の港。
柵が2重になっており、よそ者は入れそうにない。

太陽に照り付けられ、お腹も減ってきて足もとがふらついてきた。
これ以上探し歩いて倒れたら元も子もない!・・初日だしね。
というわけで、リキシャのおっちゃんにお薦めの店に連れて行ってもらう。
リキシャを走らせ、熱気をかき分けること、3分。

少しリッチなレストランにありがちな暗めのガラス張りで、中も暗くてクーラーが効いた白いテーブルクロスの引かれた店に案内された。
ここはうまいっ!と断言するおっちゃん。

わかったよ。
1人だったら、バナナでしのぐけど、3人だしうまいもん食べるよ。


私が頼んだのは、チキンドピアーザ(→説明 in english)。

たまねぎをじっくり煮込んでとろとろにしたカレー。

とっても辛くて、クーラーなんて関係なく、私たちは汗を流しながら水を飲んだ飲んだ。

値段も高すぎることなく、とにかく美味しかった。
今、自分たちの身体が求めている食べものは、まさしくこれで、身体に入った瞬間、どんどんエネルギーにかわっていくようだった。

最初は(自分にコネがある)高い店に連れてきたんじゃ・・と疑ったけれど、あのおっちゃん、ほんとにうまい店紹介してくれたんだなぁ・・と感謝。
と、ともに疑ったことを反省。

このあとも、何度も何度も疑っては反省を繰り返す。

私は、インド人を心底信じる気がないらしい。


とにかくほんとに美味しくて、やたらと料理を分けてくれたり、皿をもって来てくれたりと気を遣ってくれたウェイターのおっちゃんに愛想笑いとほんの少しのチップを置いて本物のビーチへ。

こんどこそ。
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この日の空は、そりゃあもうきれいで、広くって、心が解放されるようだった。
インドは広大だから、どんどん所狭しと高い建物を建てる必要はない。
都市部でもこんな風に空が広がってる。

今まで見たことがないくらいの若いカップルがたくさんいて、彼らもきれいな景色の一つ一つだった。
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私が、もし日本のどこかの景色の一つになれるとしたら、渋谷あたりのコンクリートジャングルで、人なんだか何なんだか分からない波に揺れている都会人になるのだろうか。

いや、そんな景色の中からは抜け出して、田んぼや畦道、河や、自然林の森の中に居ても違和のない存在になれたら・・・


気持ちいいだろうなぁ・・
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なぁんて、思ったりしながら空をずっと眺めていた。




次回、MTKのスタディツアー本編「モデルコロニー」につづく。

  1. 2008/05/14(水) 19:29:12|
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